【Ⅰサムエル記3:21~5:12】(2022/08/21)


【3:21】
『主は再びシロで現われた。主のことばによって、主がご自身をシロでサムエルに現わされたからである。』
 主はシロで再びサムエルに現われて下さいましたが、これはサムエルに対する特別な御恵みでした。普通の人であれば1回でさえ神が現われて下さることはありません。サムエルには2回も神が現われて下さいました。これを限定的な御恵みと言わずして何と言えばいいでしょうか。『主のことばによって』主は再びサムエルに現われて下さいましたが、『主のことばによって』とはどういう意味でしょうか。これはエリの家に下される裁きの詳しい内容のことだと思われます(Ⅰサムエル記3:12)。1回目に主が現われた時は、エリの家に対して裁きが下されるとは言われたものの(Ⅰサムエル記3:11~14)、その裁きにおける詳細は示されていませんでした。この詳細が『主のことば』として2回目の現われの際、サムエルに告げられたのだと考えられます。1回目の現われは夜でしたが(Ⅰサムエル記3:9~10)、2回目の現われも夜だったのかどうかは分かりません。もしかしたら夜でなかった可能性もありえます。

【4:1】
『サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、』
 全イスラエルに行き渡った『サムエルのことば』とは、恐らくエリの家に対して告げられた神罰のことではないかと思われます。Ⅰサムエル記3:19の箇所もそうでしたが、<サムエルの言葉>がどのような内容だったのか聖書は具体的に何も示していません。

【4:1~2】
『イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。ペリシテ人はイスラエル人を迎え撃つ陣ぞなえをした。』
 この時にはユダヤとペリシテ人の戦争が起こりました。ペリシテ人とはユダヤの宿敵であり、ユダヤ人はこの時だけでなく、これからも彼らと戦うことになります。ペリシテ人はユダヤの西、地中海の沿岸沿いに住んでいましたので、そこからユダヤ人に立ち向かっていました。彼らが陣を敷いた『アフェク』とは、アヤロンの北側にあり、エフライムの相続地に位置しています。この時、先に戦いを仕掛けたのがユダヤだったのかペリシテ人だったのかは分かりません。確実に分かるのはこの戦いが神により引き起こされたということです。

【4:2~3】
『戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。」』
 ユダヤ人とペリシテ人が戦ったところ、ユダヤ側が敗北し、4000人ものユダヤ人が打ち倒されました。これまでのイスラエルの歴史を考えれば分かる通り、イスラエルは今まで何度も敗北していますから、敗北するということ自体は別に珍しくありません。しかし、珍しくなかったとしても敗北が悲惨であることに変わりはありません。4000人が失われるというのは大敗北です。この「4000」という数字に象徴的な意味はないと思われます。ユダヤ人はこの敗北が主から打たれたことだと言っています。これは正しい理解でした。何故なら、勝敗は全て神にかかっているからです。敗北するというのは神から打たれることに他なりません。しかし、ユダヤ人はどうして主に打たれて敗北したのか悟ることができませんでした。

 ユダヤ人は最終的な勝利を得ようとして、『主の契約の箱』を戦場に持ち運びました。この箱が来れば敵に勝利できると思ったからです。それというのも、契約の箱とは神がそこにおられる場所だからです。ユダヤ人がこのように考えたこと自体は間違っていませんでした。確かに通常の場合、もし契約の箱が来るのであれば、ユダヤ人には主による勝利が与えられるからです。契約の箱が来るというのは主がそこに来られることに他なりません。通常の場合について言うとすれば、主が来られたのにどうして勝利できないというのでしょうか。ありえないことです。

【4:4~5】
『そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。主の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。』
 シロから契約の箱が戦場に持ち運ばれると、ユダヤ人が『大歓声をあげた』ので、その場所一帯は炸裂せんばかりとなりました。大歓声があがったのは、神が契約の箱において来られ、ユダヤに勝利を与えて下さると確信したからです。通常の場合であれば、確かにこの歓声と確信は間違っていませんでした。この時には箱と共に祭司であるホフニとピネハスもやって来ました。契約の箱がある場所には祭司もいるべきだからです。戦場にエリが来なかったのは、エリはもう高齢で移動が困難だったからでしょう(Ⅰサムエル4:15、18)。

【4:6~8】
『ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう。」と言った。そして、主の箱が陣営に着いたと知ったとき、ペリシテ人は、「神が陣営に来た。」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。』
 ユダヤ人の歓声を聞いたペリシテ人は、何が起きたのかと不思議がります。神が契約の箱において来られたと分かったので、ペリシテ人たちは大いに狼狽してしまいます。何故なら、真の神であられる古代ユダヤ人の神は『ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った』からです。このような力ある神が来られたとすれば勝ち目はないとペリシテ人に思われたのです。ここでペリシテ人は『ああ、困ったことだ。』と2度言っています。これは彼らが本当に困らされたことを示しています。私たちも何か大変なことが起きれば「ああ、駄目だ。駄目だ。」などと言うでしょう。またペリシテ人はユダヤ人の神を『神々』と言っていますが、これは誤りでした。何故なら、『ヤハウェはただひとり』(申命記6章4節)であられ、『神は唯一』(Ⅰテモテ2章5節)だからです。神には3つの位格があるものの、だからといって『神々』と複数形で呼ぶことは許されません。

 この箇所でペリシテ人が言っていることから分かる通り、ペリシテ人はヤハウェによるユダヤ人の出エジプトについて知っていました。ペリシテ人がこの事柄を知っていたとすれば、ペリシテ人だけでなく、その他の民族も同様に知っていたはずです。何故なら、出エジプトにおける神の素晴らしい御業を、ユダヤ人でない民族のうち、ただペリシテ人だけが知っていたということは考えられない話だからです。つまり、この時代において神の名声は諸国に知れ渡っていたのです。そのような神がユダヤ人のところに来られたと聞いたのですから、ペリシテ人が動揺させられたのは無理もありませんでした。

【4:9】
『さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」』
 ユダヤ人はかつてペリシテ人に仕えさせられました(士師記13:1)。この時にペリシテ人が敗北すれば、今度はペリシテ人のほうがユダヤ人に仕えさせられてしまいます。敵対者に仕えるというのは非常に屈辱です。ですから、ペリシテ人は神の共におられたユダヤ人が相手であると分かっていたものの、全力で戦うことにしました。ユダヤ人に仕えるぐらいならば男らしく戦って死んだほうが遥かに望ましいと感じられたのです。これは勇士らしく潔い判断だったと言えます。

【4:10~11】
『こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。』
 死を覚悟して戦ったのがペリシテ人には良い結果となりました。ヤハウェが共におられるゆえ決して勝てないと思っていた相手に勝利できたのです。一方、ユダヤ人は神が共におられるゆえ必ず勝てると思っていたのに、勝つことができませんでした。これは一体どういうことでしょうか。『何が起こるかを知っている者はいない。』(伝道者の書8章7節)ということです。この時にイスラエルは疫病に侵され、『三万人』もの犠牲者が出てしまいました。この『疫病』とは具体的にどのような疫病だったのでしょうか。何も書かれていないので分かりませんが、感染力の非常に強い疫病だったことは間違いありません。この『激しい疫病』にペリシテ人も感染したかどうかは分かりません。聖書ではユダヤ人がこの疫病にやられたとだけ述べています。『三万人』という数字に象徴的な意味はないはずです。これは単に非常に多くの死者が出たことを示しているだけです。また、この時にペリシテ人は『神の箱』を奪い去りました。この箱が非常に重要だったことは万人に明らかだったからです。しかし、ペリシテ人がこの箱を奪ったのは由々しきことでした。何故なら、これは「契約」の箱だからです。ペリシテ人という契約の民でない者たちが契約の箱を持ち運ぶというのは実に不適切なのです。この時には戦場に来ていたホフニとピネハスも斃れました。恐らくこの2人は疫病にやられたのだと思われます。そうでなければペリシテ人の剣や弓で殺されたのでしょう。

 通常の場合であれば、契約の箱が来たということは、すなわち神が来られたということでしたから、ユダヤ人たちは勝利を獲得していました。しかし、この時は状況がいつもと異なりました。エリの家が罪を犯していたので神は来ておられなかったのです。すなわち、来たのは契約の箱という物体だけであり、その箱において神はおられませんでした。このため、契約の箱が来たのにユダヤ人は打ち負かされてしまったのです。もしエリの家が罪を犯していなければ、契約の箱と共に神も来ておられたでしょうから、ユダヤ人はペリシテ人に勝利していたでしょう。この出来事からも分かる通り、ユダヤ人が強いのは主が共におられるからなのです。主が共におられなければユダヤ人は単なる弱い民族でしかありません。

【4:12~13】
『その日、ひとりのベニヤミン人が、戦場から走って来て、シロに着いた。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。彼が着いたとき、エリは道のそばに設けた席にすわって、見張っていた。神の箱のことを気づかっていたからである。この男が町にはいって敗戦を知らせたので、町中こぞって泣き叫んだ。』
 多くの場合、戦争でかなりの犠牲者が出ても、少しぐらいは生き延びる者がいるものです。この時もある『ひとりのベニヤミン人』が戦場から逃げて生き延びました。どうしてベニヤミン人が生き延びたのか私たちには分かりませんけども、それは別にそこまで重要な問題だというわけでもありません。このベニヤミン人の『着物は裂け、頭には土をかぶっていた』のは、状況の悲惨さをよく物語っています。彼はこの時に死んでいてもおかしくありませんでしたが、神により死から遠ざけられました。それはこのベニヤミン人がイスラエル人に敗戦を報告するためでした。彼がシロに行って敗戦を知らせると、実に凄まじい敗戦内容だったため、シロの町全体が『泣き叫』びました。

 この時、エリは神の箱を気にしていたので、『道のそばに設けた席にすわって、見張ってい』ました。エリは神の祭司だったので箱を気にしないでいることができませんでした。何故なら、祭司ほど神の箱と強く関わりを持つ人間は他に存在していないからです。

【4:14~18】
『エリが、この泣き叫ぶ声を聞いて、「この騒々しい声は何だ。」と尋ねると、この者は大急ぎでやって来て、エリに知らせた。エリは九十八歳で、その目はこわばり、何も見えなくなっていた。その男はエリに言った。「私は戦場から来た者です。私は、きょう、戦場から逃げて来ました。」するとエリは、「状況はどうか。わが子よ。」と聞いた。この知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、民のうちに打たれた者が多く出ました。それにあなたのふたりの子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。』
 エリは民の泣き叫ぶ声が気になったので、何が起きているのか知ろうとします。すると、逃げて来たベニヤミン人が最悪の戦況をエリに報告します。ここでエリはこのベニヤミン人に『わが子よ。』と言っていますが、血縁関係からこう言ったのではなく、祭司は親が子を教え導くかのように民を教え導く存在だったのでこう言ったのでした。もしエリが血縁関係において『わが子よ。』と言っていたとすれば、気が狂っていたことになります。ヨハネも同じ意味合いで『私の子どもたち。』(Ⅰヨハネ2章1節)と聖徒たちに言っています。なお、このベニヤミン人の名前を聖書は示していませんが、これは別にそこまで重要な問題ではなかったからです。

 エリが箱について聞いた時、エリは死んでしまいましたが、このようにして死ぬのが神の御心でした。神の箱が奪われたのでエリも死んだというのは、理にかなっており、非常に霊的です。何故なら、神の箱が奪われたからこそエリも死んだからです。この関係によく注目すべきです。つまり、神の箱が奪われておきながら祭司が死なないままでいるということは、あってはなりませんでした。箱における責任はこの祭司にあるからです。ですから、箱が奪われた責任を死により祭司は負わねばなりませんでした。もし祭司が過ちに陥っていなければ箱が奪われることもなかったのです。この死は神により下された裁きとしての意味がありました。それというのもエリは『自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪』(Ⅰサムエル3章13節)を犯したからです。この時のエリは『九十八歳』であり死んだも同然の老体でした。神は、この老体を裁きのために使い、彼を死に至らせました。ですから、エリは老体のため仕方なく死んだように見えながら、そこには裁きとしての働きもあったわけなのです。

【4:18】
『彼は四十年間、イスラエルをさばいた。』
 エリは祭司としてイスラエルを『四十年間』裁きましたが、これはその期間が十分であったことを示しています。エリは『九十八歳』(Ⅰサムエル4章15節)で死にましたから、58歳で大祭司になったことが分かります。エリの前に誰が大祭司だったのかは分かりません。エリに続く大祭司はサムエルでした。

【4:19~22】
『彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の箱が奪われ、しゅうとと、夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。彼女が死にかけているので、彼女の世話をしていた女たちが、「しっかりしなさい。男の子が生まれましたよ。」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。彼女は、「栄光がイスラエルから去った。」と言って、その子をイ・カボテと名づけた。これは神の箱が奪われたこと、それに、しゅうとと、夫のことをさしたのである。彼女は、「栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから。」と言った。』
 ピネハスの妻はこの時に子を産みましたが、彼女は信仰的な女だったので、女の喜びである子が産まれたというのにもかかわらず、その子のことなど気にも留めず、ただ神の箱と祭司である『しゅうとと、夫』のことを考えるだけでした。そして、彼女は産まれた子に『イ・カボテ』すなわち「栄光がない」という不名誉な名前を付けます。これはイスラエルとその祭司に不名誉なことが起きたからです。このような命名はユダヤ人らしい象徴的な命名です。この時に彼女が『栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから。』と言ったのは真実でした。何故なら、神の箱が奪われたというのは、つまり神がイスラエルを見放されたということだからです。神のおられる箱が奪われたらイスラエルには恥と悲嘆しかありません。この時にイスラエル人が持った絶望感はどれほどだったでしょうか。

【5:1~2】
『ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。』
 ペリシテ人はイスラエル人が陣を敷いていた『エベン・エゼル』から(Ⅰサムエル4章1節)、南西にある『アシュドデ』まで、奪い取った神の箱を持ち運びました。これは由々しきことでした。本来であればユダヤにあるべき契約の箱が、異教徒の地に持って行かれたからです。ペリシテ人はその箱を『ダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置し』ました。これは異常な事態でした。神の箱はユダヤの聖所にこそ置かれているべきなのに、それが偽りの神々を祀る宮に運ばれ、しかも偽りの神々と共に並び置かれたからです。この『ダゴンの宮』がアシュドデにありました。『ダゴン』とはペリシテ人が拝んでいた存在しないただの妄想神です。

【5:3~5】
『アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。それで、ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。』
 この世で真の神であるのは古代ユダヤ人の神であり新約時代のクリスチャンの神である神だけです。この神でない神と呼ばれる存在は全て偽りの神です。神はそのような偽りの神を認められません。また神は偽りの神々が御自分に並び立つことを許されません。偽りの神々は神にとって滅ぼすべき対象でしかないからです。ですから、神は御自分がおられる箱の近くにあったダゴン像を打ち倒されました。これはダゴンがヤハウェ神に負かされたことを意味しています。ダゴン像が倒れたのは、アシュドデまでやって来たユダヤ人が、夜のうちに自分で引き倒したというのではありません。像が倒されたのは御使いによったはずです。翌日になるとペリシテ人はダゴンが倒れているのを見たので、元通りにします。ところが次の日もダゴンが倒れており、しかも今度は『頭と両腕は切り離されて』いました。これは神がダゴンの存在を忌み嫌っておられるからです。ダゴンの像が切り離されたのもやはり御使いによったはずです。

 この出来事が起きたので、『ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない』ようになりました。これは彼らがヤハウェ神を大いに恐れたからです。彼らはヤハウェ神とその災いがトラウマになりました。何故なら、神はペリシテ人の奉じるダゴンよりも強い存在だということがよく分かったからです。ですから、この結果は彼らが神を恐れたことの紛れもない証拠でした。もし本当に恐れていなければ、別にダゴンの敷居を踏むことなど躊躇しなかったはずです。

【5:6】
『さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。』
 神の箱がアシュドデに置かれたままだったのは、誠に由々しきことでした。それは御心に適いませんでした。ですから、神はダゴンだけでなくアシュドデにいた人々にも災いを下されました。その災いは『腫物』でしたが、これがどのような腫物だったのかは分かりません。この腫物によりペリシテ人には死者が出たはずです。これはⅠサムエル記5:12の箇所から言えることです。もしペリシテ人が契約の箱を奪い取らなければこのような悲惨は起こりませんでした。ですから、ペリシテ人が苦しんだのは自業自得だったことになります。

【5:7~8】
『アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか。」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう。」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。』
 箱におられる神が齎す災いをペリシテ人は当然ながら何とか避けたく願います。しかし、このような箱をむやみやたらに取り扱うことはできません。このため、ペリシテ人はアシュドデに『ペリシテ人の領主を全部そこに集め』、どのようにしたらよいか決めようとします。その結果、箱はガテへと移されることになりました。恐らく、彼らは神の箱がダゴン宮殿のあるアシュドデに置かれているから災いを受けるのだと考えたのかもしれません。つまり、ヤハウェ神はダゴンとその宮殿に怒られたので災いをその町に下されたのだと。このガテとはアシュドデから南東に20kmほど離れており、ここもペリシテ人が支配する領土でした。

【5:9】
『それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。』
 ガテに箱を移せば問題は解決されるはずだと思えましたが、事態は全く変わりませんでした。箱がアシュドデから移されたことにより、アシュドデには災いが止んだはずです。ところが、今度は移された先のガテで災いが下されました。つまり、災いの下る場所が単に変わっただけでした。この時のペリシテ人は、まだ場所が問題なのではなく、箱がペリシテ人の領土にあるという点こそ問題だということを理解できていませんでした。ガテにいたペリシテ人たちは『上の者も下の者も』例外なく腫物の災いを受けました。神は、高い者だからといって災いを免れさせず、低い者であっても手加減をなさいませんでした。何故なら、ペリシテ人の全体が不適切なことを行なっていたので、誰でも罰されるべき状態にあったからです。

【5:10】
『そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」』
 ガテのペリシテ人は箱のため悲惨な状態になっていましたので、今度はガテから北に25kmほど離れた『エクロン』に箱を移動させましたが、エクロンにいたペリシテ人は箱のことで大騒ぎします。何故なら、エクロンが悲惨になる番だということは誰の目にも明らかだったからです。この時のペリシテ人はまだ災いが下される原因について理解できていませんでした。

【5:11~12】
『そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように。」と言った。町中には死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。死ななかった者も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで上った。』
 このままではエクロンが凄まじい事態になりかねませんでしたから、エクロンの人たちは『ペリシテ人の領主を全部集めて』、箱をイスラエルに送り戻すよう決定しました。彼らは箱がペリシテ人の領土にあることこそ災いを齎す原因であるとやっと気付いたのです。つまり、彼らは最初から箱を奪わないようが良かったことになります。彼らもこのことを知っていれば箱を奪い取りはしなかったでしょうが、箱を奪うまではこのことについて知らなかったのでした。無知な者の不正な欲望による強奪は悲惨な結果を齎すのです。

 12節目で『死ななかった者も』と書かれていますから、災いにより死ぬペリシテ人がいたことは間違いありません。神は『死の恐慌』により箱を奪ったペリシテ人に思い知らせておられました。この時に『町の叫び声は天にまで上った』と書かれているのは、ペリシテ人の悲惨があまりにも凄まじかったことを示しています。だからこそ、彼らはせっかく強奪した箱をイスラエルに戻そうと決めたのです。もしこのような災いがなければ彼らは決して箱を送り戻そうとしなかったはずです。