【Ⅰサムエル記6:1~7:11】(2022/08/28)


【6:1】
『主の箱は七か月もペリシテ人の野にあった。』
 神の箱は『七か月もペリシテ人の野にあった』のですが、これは実に異常な事態でした。これは「7」(か月)ですから、その期間が非常に十分であったことを意味しています。箱が敵に奪い取られるという悲惨は、これまでイスラエルに起きたことが無かったはずです。ここまでの箇所でそういうことが起きたとは書かれていません。このような事態となったのは全てエリとその息子たち2人に原因があります。何故なら、もしエリが息子たち2人を戒めて矯正していれば、またはそもそも息子たち2人が酷い冒瀆行為を行なっていなければ、箱が奪われるという悲劇も起こらなかったはずだからです。『ペリシテ人の野』とはユダヤの西側にあり、その最も西側は地中海に面しており、最近のニュースでもよく聞かれるガザという場所はここにあります。

【6:2】
『ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱を、どうしたらよいだろう。どのようにして、それをもとの所に送り返せるか、教えてもらいたい。」』
 箱はペリシテ人に災いを齎すので迅速にユダヤへと送り返すべきでしたが、むやみやたらに送り返すことはできません。何故なら、恐ろしい災いが箱により齎されているのですから、送るやり方を間違えたら大変なことになりかねないからです。そこでペリシテ人たちは『祭司たちと占い師たちを呼び寄せて』どのように送り返せばいいか尋ねます。彼らがこのように尋ねたのは正しいことでした。何故なら、箱について決定する領主たちの専門は統治であって、霊的な事柄において彼らは専門家でなかったからです。『祭司たちと占い師たち』であれば霊的な事柄を専門としています。『祭司たち』とはダゴンの祭司たちのことでしょう。『占い師たち』という罪深い存在はこの時代のペリシテに多くいたものと思われます。為政者たちがこのように霊的な者を呼び寄せて問題解決を図ろうとしたのは、見習うべきことです。宗教的な事柄であっても牧師たちを呼ばず好き勝手に何でも決めてしまう今の政治家は何と愚かなことをしているのでしょうか。政治家がこのように霊的な領域で勝手な判断をするのは、国家に呪いを齎すことに他なりません。何故なら、彼らは聖書の知識に基づいていない罪深き判断をすることで、その国を神の御心に適わない状態に変えてしまうからです。

【6:3】
『すると彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。それに対して、必ず罪過のためのいけにえを返さなければなりません。そうすれば、あなたがたはいやされましょう。なぜ、神の手があなたがたから去らないかがわかるでしょう。」』
 祭司たちと占い師たちは、そのまま箱をユダヤに送り返すべきでないと答えました。何故なら、ペリシテ人たちは箱を奪うという極悪を神に対して行なっていたからです。一般的な事柄でもそうですが、盗んだり損なったりしたらそのまま返せばただそれだけで十分だと考えるのは、礼儀知らずの道徳的赤ん坊なのです。ですから祭司と占い師は、もし箱を返すというのであれば、『罪過のためのいけにえ』と共に返すべきだと命じます。これは生贄により神の御怒りを宥めるためです。もしペリシテ人が祭司たちと占い師たちを呼んで尋ねていなければ、生贄を伴わせて返却するという判断を持てていたかどうか定かではありません。

【6:4~6】
『人々は言った。「私たちの返す罪過のためのいけにえとは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数によって、五つの金の腫物と、五つの金のねずみです。あなたがたみなと、あなたがたの領主へのわざわいは同じであったからです。あなたがたの腫物の像と、この地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。なぜ、あなたがたは、エジプト人とパロが心をかたくなにしたように、心をかたくなにするのですか。神が彼らをひどいめに会わせたときに、彼らは、イスラエルを自由にして、彼らを去らせたではありませんか。』
 5節目から分かる通り、ペリシテ人は鼠に荒らされるという災いも受けていました。これは彼らに対する呪いをよく示しています。というのも、律法において鼠は汚れた動物だからです。鼠は汚れた動物でしたから呪いのために相応しかったのです。もしかしたら、この鼠によりペリシテ人には腫物が齎されたのかもしれません。鼠は衛生的に不潔な動物なのですから。聖書に鼠と腫物の関連性は何も示されていませんが、関連のあった可能性は十分にあります。この鼠が、どのような種類だったのか、どれぐらい大きかったのか、どのくらいいたのか、ということは分かりません。ただこの鼠は『この地を荒らした』のですから、荒らせるほど多くやって来たことは間違いないでしょう。

 祭司たちと占い師たちは、箱を『五つの金の腫物と、五つの金のねずみ』と共に送り戻すべきだと命じています。これはペリシテ人の領主たちと全てのペリシテ人たちを対応させるためです。ペリシテ人の領地には5人の支配者がいました。腫物と鼠をそれぞれ『五つ』ずつ送ることで、全てのペリシテ人がそれを神に送ったことになります。何故なら、民衆は領主とその支配に属しているからです。ですから、この『五つ』という数は何か象徴性があるというわけではなく、単に領主たちの数に合致させているだけです。この2つの像がそれぞれ5つずつであり、またその大きさが『鞍袋』(Ⅰサムエル記6章8節)に入るほどであったということは分かるものの、像の制作時間や制作者については分かりません。ただこれは神に送る像だったのですから軽々しく作られることはなかったはずです。祭司たちと占い師たちは、この像により神に栄光が帰されると言っています(5節)。これは裁きとして生じた腫物と鼠における像の材質である『金』が、「称賛」を意味しているからです。すなわち、この像を金の材質において送るのは「神の下された裁きは誠に力強く凄まじかった。」と暗に伝えることでした。このようにして像を通し神に栄光を帰するならば、ペリシテ人に対する災いも軽くなると祭司たちと占い師たちは考えました。彼らがこのように考えたのは正解でした。また4節目で書かれている通り、領主と民衆に対する神からの災いは『同じ』であり、その災いに依怙贔屓は全くありませんでした。これは先に見たⅠサムエル記5:9の箇所でも言われていたことです。

 祭司たちと占い師たちは、かつて『エジプト人とパロ』に起きた出来事を思い起こさせ、領主たちに注意を促します。「あのエジプト人たちでさえ神から悲惨にされた際はユダヤを去らせたのに、あなたがたは悲惨にされても同じことをしようとしないのか?」と。彼らがこのように警告したのは間違っていませんでした。何故なら、ペリシテ人の前にはエジプト人の事例が教訓として置かれていたからです。大国エジプトでさえユダヤを去らせたのですから、それに倣い、ペリシテ人たちも神の箱を送り戻すべきでした。

【6:7~9】
『それで今、一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。また主の箱を取ってその箱に載せなさい。罪過のためのいけにえとして返す金の品物を鞍袋に入れ、そのかたわらに置き、それを行くがままにさせなければならない。あなたがたは、箱がその国への道をベテ・シェメシュに上って行けば、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの箱だと思わなければならない。もし、行かなければ、その手は私たちを打たず、それは私たちに偶然起こったことだと知ろう。」』
 続いて祭司たちと占い師たちは、新しい車を作って雌牛に牽かせ、それに箱を載せて送り戻すべきであると命じています。箱はペリシテ人が返すのではなく、雌牛に箱の載せられた車を牽いて行かせるべきでした。これはペリシテ人に生じた災いが神罰によるのか偶然によるのか知るためでした。もし箱の載せられた車がユダヤの『ベテ・シェメシュ』に上って行けば、災いは箱の齎した神罰だったと分かります。何故なら、箱が本当に神の箱であれば、神はその箱がユダヤに戻るよう雌牛を動かされるはずだからです。この『ベテ・シェメシュ』とはペリシテ人の地から東の場所にあり、エルサレムから西に25kmほど離れています。しかし、車を牽く雌牛がベテ・シェメシュに行かなければ、災いは神罰でなかったことが分かります。箱が神の箱であるのにユダヤの地へと戻らないというのはありえないことだからです。神の働きかけておられない箱により災いが齎されたというのは考えられない話なのです。祭司たちと占い師たちは、『新しい車』と『くびきをつけたことのない』雌牛を用意すべきだと言っています。つまり、車と雌牛は第一のものでなければいけません。これは初子を神に捧げなければいけないという律法と共通性があります。その律法から分かる通り、神には第一のものが送られるべきなのです。第二のものではいけません。何故なら、三位一体の神は、存在する存在のうち第一の存在であられるからです。彼らが雌牛を取る際、その雌牛の乳を飲んでいる子牛を引き離すべきだと命じたのは正しいことでした。これは律法の理念に適っているからです(申命記22:6~7)。

【6:10~11】
『人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、それを車につないだ。子牛は牛小屋に閉じ込めた。そして主の箱を車に載せ、また金のねずみと腫物の像を入れた鞍袋を載せた。』
 ペリシテ人は、祭司たちと占い師たちが命じた通りに全て行ないました。それは祭司たちと占い師たちが正しいことを言っていると思えたからです。この時は、祭司たちと占い師たちも正しいことを命じましたし、その命令に聞き従ったペリシテ人の領主たちも正しい判断をしました。こうなったのは箱がユダヤに戻ることこそ神の御心だったからです。

【6:12~18】
『すると雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一筋の大路をまっすぐに進み、鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、そのあとについて行った。ベテ・シェメシュの人々は、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げたとき、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にはいり、そこにとどまった。そこには大きな石があった。その人たちは、その車の木を割り、その雌牛を全焼のいけにえとして主にささげた。レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物のはいっている鞍袋とを降ろし、その大きな石の上に置いた。ベテ・シェメシュの人たちは全焼のいけにえをささげ、その日、ほかのいけにえも主にささげた。五人のペリシテ人の領主たちは、これを見て、その日のうちにエクロンへ帰った。ペリシテ人が、罪過のためのいけにえとして主に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。また、金のねずみは、五人の領主のものであるペリシテ人のすべての町―城壁のある町から城壁のない村まで―の数によっていた。終わりに主の箱が安置された大きな石は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。』
 遂に完成した車は、雌牛に牽かれ、ベテ・シェメシュの方向に進んで行きましたが、ペリシテ人の領主たちも車の後に付いて行きました。車がベテ・シェメシュに進んだことで、災いは箱により齎されたことがまざまざと明らかになりました。雌牛はベテ・シェメシュのほうへと『まっすぐに進み』『右にも左にもそれなかった』からです。神が雌牛を動かしておられることは疑えませんでした。ペリシテ人の領主たちは雌牛がベテ・シェメシュへ行くよう何か働きかけたりしていなかったはずです。

 こうして車はベテ・シェメシュに着き、そこのベテ・シェメシュ人は車に載せてある箱を見て喜びます。そして、ユダヤ人は箱を運んで来た雌牛を神への犠牲として捧げます。この箱と車に載せられていた2種類の品物は、そこにあった大きな石の上に置かれました。車が着いた畑の持ち主である『ベテ・シェメシュ人ヨシュア』についてはよく分かりません。こうして事の成り行きを見届けたペリシテ人の領主たちは、全てのことを悟ったので、ベテ・シェメシュの国境から『その日のうちにエクロンへ帰った』のでした。エクロンはベテ・シェメシュから北西に30kmほど離れています。

 17節目で書かれている通り、この時に運ばれた5つの金の腫物は、腫物の災いが下された5つの領地と対応していました。また18節目で書かれている通り、5つの金の鼠も、やはり5人の領主が支配する5つの町々と対応していました。もしペリシテの領主と領地がもっと多いか少なかったのであれば、この時に運ばれていた2種類の像も領主と領地の数に対応した数になっていたはずです。

【6:19】
『主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。そのとき主は、その民五万七十人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。』
 聖なる箱がベテ・シェメシュに着いてから、ベテ・シェメシュの人々は箱の中を見てしまいました。この箱には2人のケルビムが両側に付けられているにもかかわらず、です。守護天使のケルビムは、誰も箱の中を見ないようにと箱の両側に取り付けられていたのですが。箱の中には十戒の板が2枚入っていました。その板を見るというのは死ぬということです。何故なら、律法はそれに対峙する人間に向かって、『このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。』(申命記27章26節)と宣告するからです。全ての人は罪人なので律法を守ることができません。それゆえ、律法に対峙する人間はことごとく呪われて死ななければならないのです。このため、主は『五万七十人』ものベテ・シェメシュ人を罰として殺されました。これは彼らが律法をそのまま見たからでした。もちろん実際に箱を覗いて見たのは少しの人だけだったと思われますが、神は契約的な御方なので、その少しの人たちの罪をベテ・シェメシュ人全体の罪とされたのです。この時に裁き殺された『五万七十人』という数は象徴的な意味を含んでいないはずです。もし彼らが箱を覗かなければ神も裁きを下してはおられなかったでしょう。このような裁きが下されたので『民は喪に服した』のでした。喪の期間がどれだけだったかは不明です。また、この時にベテ・シェメシュ人がどのような仕方で打たれたのかも分かりません。

【6:20~21】
『ベテ・シェメシュの人々は言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。私たちのところから、だれのところへ上って行かれるのか。」そこで、彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を送って言った。「ペリシテ人が主の箱を返してよこしました。下って来て、それをあなたがたのところに運び上げてください。」』
 この時の神罰により、ベテ・シェメシュにいた全ての人々が死んだわけではありませんでした。つまり、先の箇所に書かれていた『五万七十人』という死者数は、ベテ・シェメシュの総人口ではありません。この死者数がベテ・シェメシュの総人口における何%だったかは分かりません。もしかしたらベテ・シェメシュはほとんど全滅に近い状態となっていた可能性もあります。

 ベテ・シェメシュ人は神の神罰に恐れ戦き、自分たちでは神の御前に立ち得ないと悟らされます。彼らが『私たちのところから、だれのところへ上って行かれるのか。』と言っているのは、「箱のある場所が私たちの場所で相応しくなければ、どの部族の場所ならば相応しいだろうか。」という疑問の意味です。彼らはキルヤテ・エアリムであれば良いと感じたので、そこに使者を送り、箱を移動させようとします。この『キルヤテ・エアリム』はベテ・シェメシュから20kmほど北東に離れています。

【7:1~2】
『キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。』
 ベテ・シェメシュ人から要請を受けたキルヤテ・エアリムの人々は、その要請を受諾し、ベテ・シェメシュから箱を自分たちの場所に移しました。これは特に断るべき理由もなかったからです。この箱は『丘の上のアビナダブの家に運び』込まれ、アビナダブの『子エルアザル』に守られることとなりました。これはもう二度と敵に箱が奪い取られないためです。この箱は『丘の上』すなわち山に安置されました。これは山が神と強く関連しているからです。すなわち、山は高いので、無限の高さにおられる神と、この世で最も相関関係が強いと言える場所なのです。こういうわけで、主も祈られる際は、よく山に登られたのでした。

 このようにして箱がキルヤテ・エアリムに安置されてから、『二十年』もの『長い年月』が経過しました。この間中、イスラエルは神からずっと見放されたままでいました。彼らは見放されていたのでペリシテ人の支配に服していました。主人から長らく離れたままでいるのは僕にとって辛く悲しいことです。それゆえ、この時に『イスラエルの全家は主を慕い求めてい』ました。

【7:3~4】
『そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。』
 この時のユダヤは、先にも述べた通り、ペリシテ人の支配に屈していました。それはユダヤ人が『バアルやアシュタロテに』仕え偶像崇拝の罪を犯していたからです。この罪に対する裁きとして、神は、ユダヤ人を敵に支配させておられたのでした。神の子らであるユダヤ人が神に喜ばれないことをしていたので、神もそれに報いてユダヤ人を喜ばしくない者に支配させておられたのです。この裁きは正(まさ)しく律法で示されている通りです。しかし、ユダヤ人が敵の支配に委ねられるのは、もちろんこれが最初ではありません。これまでにユダヤ人は数えきれないほど敵に支配されてきました。それは彼らが偶像崇拝に幾度となく陥って神を怒らせてきたからなのでした。

 サムエルは、もしユダヤ人が偶像を捨てて神に仕えるのであれば救い出される、とユダヤ人に語りかけました。というのもユダヤ人が敵に支配されるという結果は、ユダヤ人が偶像を拝むという原因により引き起こされていたからです。原因を取り除けば結果も消え去るのは理の当然なのです。この語りかけにユダヤ人は応じ、『バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕え』るようにしました。彼らがこのようにしたのは『主を慕い求めていた』(Ⅰサムエル記7章2節)からです。つまり、主に対する渇望が偶像への愛を凌駕したからです。サムエルはこれまでにもこのようなことをユダヤ人に語りかけていたのかもしれません。そうだったとした場合、これまでの間は、まだユダヤ人は神に立ち帰ることが出来ていませんでした。何故なら、これまではまだユダヤ人に主を求める渇望の炎が激しく燃え上がっていなかったからです。つまり、これまではまだ偶像への愛が主に対する渇望を凌駕していたので、彼らは偶像を捨てようとしなかったわけです。

【7:5~6】
『それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。』
 イスラエル人が本当に悔い改めていたので、サムエルは『ミツパ』に民を集め、そこで神に対する執り成しの祈りを捧げようとしました。祭司が執り成しの祈りを捧げる場所は、もちろん聖所のある場所です。ですから、この時には聖所がシロからミツパに移されていたことになります。この『ミツパ』はシロから南に30kmほど離れています。こうしてユダヤ人はミツパに集まり『水を汲んで主の前に注ぎ』ましたが、これは悔いた心を主の御前に水のごとく注ぎ出すという意思表示でした。イスラエル人は、水を注ぐ時のように、自分たちの悔いた思いを神の御前に注いだのです。ですから、これは清めのために行なわれた象徴行為ではありません。また、この時にユダヤ人は『断食』しました。これは彼らが悔い改めに専心していたことを示しています。このようにしてユダヤ人は主の御前で犯した偶像崇拝の罪を悔い改めました。彼らは偶像を取り除いたのですから、この悔い改めは真実な悔い改めでした。こうしてサムエルは『イスラエル人をさば』きました。「裁く」というのはイスラエル人の罪を審判し神に執り成しの祈りを捧げるということです。

 犯された罪は、この時のイスラエル人がしたように、神の御前で悔い改めなければなりません。ダビデもそのようにして悔い改めました。このような悔い改めが主の御心に適わないということはありえません。真に悔いるならば確かにそうです。それは詩篇の箇所で、『神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。』(51:17)と書かれている通りです。

【7:7~8】
『イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」』
 この時にはかなり多くのイスラエル人がミツパに集まっていたと推測されます。ペリシテ人はイスラエル人がミツパに集合しているのを知ると、そこに攻め上ります。どうしてペリシテ人はミツパに攻め上ったのでしょうか。聖書はその理由を示していませんが、イスラエル人を滅ぼすためか、暴動を起こさないよう鎮圧させるためだったのでしょう。イスラエル人は弱い民族であり、ペリシテ人は強い民族だったので、ペリシテ人の襲来にユダヤ人は恐れ戦きました。ここまで長らくイスラエル人はペリシテ人に屈していたのですから、彼らがペリシテ人を恐れたのは自然なことでした。この時、イスラエル人はサムエルがヤハウェに叫ぶのを止めないよう懇願します。これは神がサムエルの声を聞いて下さると思ってのことでした。もし神がサムエルの叫びを聞かれるならば、イスラエル人はペリシテ人に打ち負かされないで済みます。つまり、イスラエル人の運命はサムエルの叫びが神に聞かれるかどうかにかかっていました。

【7:9】
『サムエルは乳離れしていない小羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。』
 サムエルは神に救いを叫び求める際、まず小羊の生贄を神に捧げました。これはまず犠牲により神と和解していなければ叫びが聞かれることもないからです。これは誰でも普通に分かることです。神の御怒りを宥めていない状態であるのに、どうして叫び求める声が受け入れられるでしょうか。私たち人間にしても仲直りしていない者の願いを聞いてやりたいと思うでしょうか。普通であれば聞いてやろうとは思わないでしょう。神の場合もこれと同じです。神の場合であれ人の場合であれ、まず和解、次に懇願、というのが正しい順序なのです。サムエルがこの時に捧げた『小羊』は、真の生贄であられるイエス・キリストを象徴する生贄でした。それは神に嘉せられる生贄でした。こうしてサムエルは神がイスラエルを救って下さるよう叫び求めます。サムエルの捧げた生贄は神の御心に適っていたので、神はサムエルの叫びを聞き入れて下さいました。

【7:10~11】
『サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。』
 ペリシテ人がイスラエルを痛めつけようと攻め上って来たものの、神がペリシテ人を『雷鳴』により恐れ戦かせたので、ペリシテ人はイスラエル人に打ち負かされてしまいます。『大きな』 と書かれていますので、これはとてつもない雷鳴だったはずです。ペリシテ人はこの雷鳴を見たり聞いたりしたことで、神がイスラエルと共に戦っておられると感じずにはいられなかったはずです。実際、この時に神はイスラエルと共に戦っておられました。このようにして神はイスラエルに勝利の御恵みを施して下さいました。これはイスラエル人が偶像を捨てて神に立ち帰ったからです。もしイスラエル人が偶像を捨てないままでいたとすれば、神もイスラエル人が勝利できるよう働きかけて下さらなかったはずです。