【Ⅰサムエル記7:12~9:10】(2022/09/04)


【7:12】
『そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。』
 サムエルは神の御救いを記念するため、神が働きかけて下さった『ミツパとシェンの間に』石を置きました。そして、そこの名を『エベン・エゼル』と名づけました。『エベン』とは「石」、『エゼル』とは「助ける」という意味です。この名前は先の箇所でも書かれていましたが(Ⅰサムエル記4:1)、その時はまだこの名前が付けられていませんでした。この時にサムエルが置いた石は記念としての意味があったのですから、それなりの大きさがあったと考えられます。小さくては記念碑として相応しくありませんから。このようにサムエルが神への感謝と賛美を形として残そうとしたのは、正しく敬虔なことでした。

【7:13~14】
『こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。』
 ペリシテ人がこの時に征服されて後、ペリシテ人は『二度とイスラエルの領内に、はいって来な』くなりました。それは『主の手がペリシテ人を防いでいた』からです。『主の手』とは、主の働きかけによりペリシテ人が持った畏怖のことでしょう。しかし、ペリシテ人がイスラエルに侵入しなくなったのは『サムエルの生きている間』でした。つまり、サムエルの死後は再びペリシテ人がイスラエルに入って来たということです。このようにしてペリシテ人が征服され抑えられたのは、ユダヤ人が偶像を捨てて神に立ち帰ったからでした。神は御自分に仕える聖徒たちに慈しみ深くして下さるからです。ですから、ユダヤ人がまだ神に仕えていなかった時は、ペリシテ人による苦難を味わわなければいけなかったわけです。

 不服従に対する呪いによりイスラエル人の領土はペリシテ人から奪われていましたので、神に立ち帰ったことで呪いが取り去られたゆえ、その領土をイスラエル人は取り戻せるようになりました。その領土は『エクロンからガテまで』にありましたが、そこはユダヤの西側に位置しています。もしイスラエルが神に立ち帰っていなければ、呪いも注がれたままだったでしょうから、いつまで経ってもペリシテ人から領土を取り返すことは出来なかったでしょう。このように呪いにより領土は減らされ、祝福により領土は広まります。何故なら、神は呪われている者に不幸を齎し、祝福されている者には慈しみ深くして下さる御方だからです。それゆえ、神への帰順により領土が回復されたイスラエル人は、今述べたような呪いと祝福の原理を身に染みて実感したはずです。

 この時、『イスラエル人とエモリ人の間には平和があ』りましたが、これは偶然に生じた平和でなく、神が御恵みにより与えられた平和でした。この平和には神の喜びが示されていました。何故かと言えば、神は聖徒たちを喜ばれる時、聖徒たちをその敵と和らがせて下さるからです。それはソロモンがこう言った通りです。『主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。』(箴言16章7節)このエモリ人はイスラエル人の敵であり滅ぼされるべき者たちでした(申命記7:1)。しかし、少なくともこの時は、イスラエル人と仲良くなりました。神はこの平和の交わりにおいて、御自分がどれだけイスラエルの帰順を喜んでいるのか証ししようとされたのでした。これは当時のイスラエル人だけでなく、あらゆる時代の聖徒たちでも同様です。私たちも悔い改めるなど神に喜ばれる時があれば、神は私たちを敵である者たちと一時的に和らがせて下さることでしょう。そのようになるのが神の御心だからです。その平和により私たちは神が喜んでおられるのを知ることができます。何故なら、平和は全て神から出るのだからです。

【7:15~17】
『サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。彼はそこでイスラエルをさばいた。彼はまた、そこに主のために一つの祭壇を築いた。』
 神は、サムエルを、その生涯においてずっと、イスラエルの祭司として任じ続けておられました。これはサムエルが主の御心に適っていたからです。サムエルは最後に至るまでも敬虔な歩みをしていました。サウルの場合、主の御心に適わなかったので、その任じられた地位から引き降ろされてしまいました。サウルもサムエルのようであれば、ずっとその地位に留まり続けることが出来ていました。またサムエルは毎年、祭司の職務として、『ベテル、ギルガル、ミツパを巡回』して裁いていました。それぞれの地で、祭儀を執り行ったり、執り成しの祈りを捧げたり、裁き司では難しい問題を解決したり、人々を教導したりしたのです。サムエルが巡回したルートは記述通りだったはずです。すなわち、まず最も北にある『ベテル』へ行き、次に東にかなり離れた『ギルガル』へ行き、そうして最後にギルガルから西に離れた『ミツパ』へ行くというルートです。それからサムエルはラマの自宅へと帰宅します。サムエルはそこで『主のために一つの祭壇を築い』ていました。これはもちろん主に対して犠牲を捧げるためです。サムエルはこのラマを拠点として全イスラエルを裁いていました。ラマはエルサレムから北に20kmほど離れています。

【8:1~3】
『サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。』
 サムエルには2人の息子がいました。聖書は2人の息子についてしか書いていません。他にもサムエルの子がいたのかどうかは分かりません。もしかしたらサムエルにはもっと多くの子がいた可能性もあります。つまり、サムエルは妻帯者でした。妻については何も分かりません。ところで、このようにサムエルでさえ妻帯者だったのですから、独身でいることをいつまでも止めようとしないローマ・カトリックの司祭たちはどれだけ無知蒙昧でしょうか。これではまるで自分たちがサムエルよりも敬虔で正しいと言わんばかりです。サムエル以外にもダビデやペテロといった敬虔な聖徒たちが妻を持っていました。それゆえ、独身でいることが敬虔らしく思えるので誇っている司祭たちは間違っていると言わなければなりません。このサムエルの『長男の名はヨエル』でしたが、これは預言者ヨエルと一緒の名前であり、イスラエルでは特に珍しくない名前だったことが分かります。次男の『アビヤ』という名前も一般的な名前でした。サムエルは老年になった時、この2人の息子たちをベエル・シェバの裁き司として任じましたが、このベエル・シェバはイスラエルの南にあります。サムエルはどうやらこの2人の息子たちだけを裁き司に任じたようです。もし他にもサムエルが息子を持っており、その息子たちも裁き司に任じられていたとすれば、聖書は恐らくそのことについても書いていただろうからです。この2人の息子たちはサムエルとは違い、とんでもない者でした。それは彼らが神から恵まれておらず、神に好まれていなかったからです。もし神に恵まれ好まれていたとすれば、この息子たちもサムエルのように正しく歩んでいたことでしょう。この息子たちは『利得を追い求め』ていました。これは霊的な教導者に相応しくない性向でした。何故なら、パウロも言っている通り、霊的な教導者には『金銭に無欲で』(Ⅰテモテ3章3節)あることが求められているからです。彼らはお金が大好きでしたから、『わいろを取』っていました。これは明白な律法違反です(出エジプト記23:8)。普通の人でさえ賄賂を取るのは罪深いのですから、賄賂を取るなと教えるべき教導者が賄賂を取るというのは、どれだけ罪深いことだったでしょうか。この賄賂は聡明な人をさえ歪めてしまいます(出エジプト記23:8)。ですから、2人の息子たちは『さばきを曲げていた』のです。感覚が歪むことで裁きを曲げないようにするため、神は賄賂を厳格に禁止しておられたのですが、2人の息子たちはそのことを弁えていませんでした。要するに、この2人の息子たちは最悪でした。新約時代の教導者はこの息子たちを反面教師とせねばなりません。

 このように息子たちはサムエルのように恵まれていませんでした。特別な大きい恵みを受けた親に対し、その子は親のようでないケースがこの世においてほとんどです。天才の子どもが天才であることは稀なのです。類稀な資質が親から子に伝達されることは多くありません。何故なら、特別な御恵みは、個人的な範囲に限定して与えるのが神の通常のやり方だからです。実際の事例を見ても、ルターの子はルターのようでありませんでしたし、キケロの子もキケロほど優れていませんでしたし、アリストテレスの子も無名でしたし、スポルジョンの子である双子の牧師たちも有名ではありませんでしたし、アインシュタインの子も歴史に名を残す人物ではありませんでした。サムエルとその子も例外ではありませんでした。ミル親子など親子共に計り知れない恵みを受けた偉人は、実に珍しい存在なのです。ですから、どこかにサムエルのような偉人がいたとすれば、その子は親のようでない可能性がかなり高いと思うべきでしょう。また、これには遺伝も大いに関わっています。父親の性質を強く受け継ぎやすいのは娘です。息子たちは父親よりも母親から遺伝の影響を強く受けます。天才であり歴史に名を残す女性はほとんど存在していません。そのような人物は男性がほぼ全てです。こういうわけでサムエルような卓越した父親の息子は卓越していない場合が多いのです。もし父親の遺伝が娘よりも息子に強く作用するような仕組みだったとすれば、この世にはミル親子のような天才親子が無数に存在していたでしょう。

【8:4~5】
『そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」』
 不敬虔なサムエルの息子たちがイスラエルを統導するのはいかがなものかと思われました。愚かな者に治められれば国が健全でなくなるのは目に見えているからです。サムエルがこれからもイスラエルを治めるのであれば問題はありませんでした。しかし、サムエルはもう高齢であり、いつ死ぬか分からない状態です。ですから、この時期に長老たちは「これからイスラエルはどうなるのだろう。」と感じたに違いありません。そこで長老たちはサムエルに王を立てるよう願い求めます。サムエルが立てる王であればイスラエルは正しく治められると思われたからです。これまでイスラエルに王は存在していませんでした。イスラエル人が王を求めたのも、恐らくこの時が初めてだったでしょう。しかし、イスラエル人は何の根拠もなしに王を求めたわけではありませんでした。というのも律法では王に関して規定されている箇所があるからです。この時にイスラエルを治めていたサムエルは王ではありませんでした。モーセやヨシュアや士師たちも王ではありませんでした。アビメレクも僭主でしたから王ではありませんでした。

【8:6~8】
『彼らが、「私たちをさばく王を与えてください。」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。』
 長老たちが王を要請したのは、サムエルにとって不満に感じられました。何故なら、その要請はサムエルが不要の存在として退けられているかのようだったからです。サムエルは民から「あなたなど別に必要としていない。」とでも言われているように感じられたはずです。ここでサムエルは主に祈ります。恐らく、長老たちの要請を受諾すべきかどうか伺ったのでしょう。そうでなければ心に生じた不満を神の御前で訴えたのでしょう。祈りを捧げたサムエルに対し、神は民がサムエルではなく御自分を退けたと言われました。これは神がサムエルという地上の代理者を通して全イスラエルを治めておられたからです。ですから、サムエルを退けるのは、サムエルを退けるというより神を退けると言うべきことでした。また、神がここで言っておられる通り、ユダヤ人はエジプトから贖い出された時からこの時に至るまでずっと反逆し続けていました。これはここまでの箇所を見れば分かることです。民がこれまで神を捨てて偶像に従って来たように、民はサムエルをも捨てて別の指導者に従おうとしていました。それで神は王を求める民の声を受け入れるようサムエルに指示します。これは王を求める民の意志が完全に固まっていたからです。もう何を言っても無駄であると神は知っておられました。ですから、彼らの望むままにさせようとしたのです。

 確かなところ、民は神を退けてまで人間の王を求めるべきではありませんでした。つまり、ユダヤ人はこの時に過ちを犯しました。事実、人間の王はいないものの神に治められている状態のほうが遥かに良かったのです。というのも神を退けるならば諸々の悲惨が降りかかることになるからです。ユダヤ人はこのことを何も弁えていませんでした。確かにユダヤ人はこの時に求めるべきでないことを求めました。しかし、神は彼らの求めを実現させようとされました。それは王という存在によりやがて来たるべきキリストを予表させるという目的があったからです。実際、ダビデはその存在においてキリストを前もって表わしていましたし、ソロモンも同様でした。つまり、この時に民が神を退けたのは御心に適わなかったものの、王が立てられるということ自体は御心に適っていました。

【8:9】
『今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」』
 この時に民が王を求めたのは、これまでにしてきた神への反逆の延長線上にありました。これまでイスラエルはずっと神に逆らうのを止めようとしませんでした。ですから、その延長線上として王を求めた彼らが、何を言われても自分たちの要請を引っ込めようとしなかったことは目に見えていました。彼らはどれだけ拒絶されても自分たちで勝手に王を立てていたでしょう。ですから、神は彼らの求めがそのまま実現されるようにされたのでした。しかし、神は民に対し王が持つ厳しい権利を宣告せよとサムエルに言われます。これは、もしかしたらその権利を聞いたことで、民が自分たちの要請を取り消すかもしれなかったからです。王が苛酷な統治をすると聞いたならば、イスラエル人が王に対する抵抗感を抱いたとしても不思議なことはありません。また、神が王の権利を宣告せよと言われたのは、実際に王が立てられたとしても、王の苛酷さに民が不満を述べ立てないようにするためでもありました。王の苛酷さについて聞いておきながら王を立てたのであれば、王が民を苦しめたとしても文句を言えないのは当然のことだからです。

【8:10~11】
『そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、主のことばを残らず話した。そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。』
 こうしてサムエルは、イスラエル人に対する王の厳しい権利を宣告します。サムエル自身がこう言ったのではありません。神がサムエルを通してこのように宣告されたのです。何故なら、サムエルが語ったのは『主のことば』だったからです。民はこの宣告を聞いて、自分たちの要請を引っ込めるべきでした。彼らが要請を引っ込めなかったのは、すぐ後の箇所で見る通りです。

【8:11~12】
『王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。』
 これからイスラエルに王が立てられるのであれば、その王は民の息子たちを公務に徴集し好きなよう使用します。この徴集は合法的な権利に基づいていますから、民は拒絶することができません。もし拒絶すれば王の権利に基づき罰せられてしまうだけです。このようにして民は王の奴隷とさせられます。そのようになるのは大変な労苦を齎します。これは厳しいことです。神という王の場合、イスラエル人に対し、このような厳しいことはなさいませんでした。何故なら、神にとって民は奴隷ではなく「子ら」だからです。

【8:13】
『あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。』
 イスラエルに立てられる王は、民の娘たちを『香料作りとし、料理女とし、パン焼き女』にします。王は息子たちを奴隷にするだけでなく、娘たちをも自分のために奴隷として使うのです。このため、イスラエル人は息子だけでなく娘たちも王のために辛い労苦をしなければいけません。神という王の場合、このようなことはされませんでした。なお、この箇所では、女たちが就けられる職業名として『香料作り』と『料理女』と『パン焼き女』の3つだけを挙げています。しかし、これはこのような類の職務全般が示されているとすべきでしょう。

【8:14】
『あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える。』
 また王は、民の畑も取り上げて『自分の宦官や家来たちに与え』ますが、これは合法的な権利に基づいて取り上げられるので文句を言えません。イスラエル人は王から普通の畑だけでなく『ぶどう畑』も取り上げられ、更に喜ばしいオリーブの生える畑さえ取り上げます。それらの畑は王の宦官や家来たちの所有となりますので、もはやイスラエル人がその畑を使うことはできません。これも、やはり神の場合はなさらなかったことです。神はこのような王の厳しい権利を宣告することで、イスラエル人が王の要請を取り下げるよう働きかけておられます。何故なら、このような宣告は「もし王が立てられたならば、このような酷いことが起こるが、あなたがたは本当にそれでもいいのか?」という暗黙のメッセージを伝えることだからです。

【8:15】
『あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える。』
 更に王は、ユダヤ人の『穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える』ことさえします。その取り上げられた食物を味わうことは出来なくなります。ユダヤ人はもう既に、神に対して十分の一の食物を捧げていました。それだけであれば問題はないのですが、それに加えて王にも十分の一を捧げねばなりませんから、これは大きな負担となってしまいます。それはユダヤ人にとって苦しいことです。ところが、ユダヤ人はこのように王からされるとしても王の誕生を決して諦めようとしませんでした。

【8:16】
『あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる。』
 更に王は、民の奴隷や優れた若者や家畜をも取り上げて自分の所有とします。これも王が合法的に取り上げるので文句を言えません。文句を言えば法的な処罰が待ち受けているからです。神はこのような宣告により「これでも本当に王が欲しいのか?」と伝えておられます。ユダヤ人は「それでも欲しいのです。」と思いました(Ⅰサムエル8:19)。高慢な彼らは神に服するぐらいならば苦しみを齎す人間の王のほうがよっぽど良いと思っていたわけです。

【8:17】
『あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。』
 イスラエルの王は、民の羊からもその十分の一を取り上げます。これは大きな損失となります。王に取り上げられた羊がいつか返って来るということもありません。しかし、ユダヤ人はこのような王の権利について聞き知りながら王を立てるわけですから、王に羊が取り上げられたとしても自業自得でした。もし羊を取り上げられたくなければ、王の権利について聞かされた時点で、自分たちの要請を取り下げていれば良かったのですから。

 王が羊の群れや食物の『十分の一』を取り上げるのは、王に民が服従させられることを意味しています。律法の中ではユダヤ人に十分の一を捧げるよう規定されていますが、これは神がユダヤ人に服従を求めることでした。ユダヤ人が十分の一を神に捧げているのであれば、それはユダヤ人が服従している紛れもない証拠だったのです。というのも全的に服従しているからこそ、十分の一を捧げることさえ厭わないからです。もし全的に服従していなければ、自分が服従していない神に対し十分の一を捧げることはなかったでしょう。服従していない存在にどうして1割もの財産を捧げることができるでしょうか。ですから、ユダヤ人は『十分の一』を捧げることにより『王の奴隷となる』のです。十分の一以下すなわち9.99999…%以下であればユダヤ人が王の奴隷というわけではありませんでした。つまり、捧げる比率が10%に達するかどうかが奴隷であるか奴隷でないか知るための判定基準となります。今現在、ほとんど全ての国では国民から1割以上の税を取り立てており、日本も例外ではなく、我が国は国民から4割程度の税を取り立てています。これは今の世界で実に多くの人々が国家の奴隷となっていることを意味しています。国民が国家の奴隷にされているからこそ、多くの国民はしばしば国家に不満を述べ立てるのであって、もし国民が奴隷でなかったとすればここまで不満の声は聞かれなかったでしょうし、国家が取り立てる税率も全部で9.9%以下だったでしょう。

 神に対してであれば必ず十分の一が捧げられなければなりません。捧げない聖徒がいれば罪を犯しているのです。これはマラキ書を読めば分かる通りです。しかし、国の場合、いかなる国であれ、国民に9.9%以上の税を課すことは間違っています。私たちは今見ている箇所の文脈を考えるべきです。ここでは王が民に齎す苦しみが列挙されています。その苦しみの一つとして「十分の一の財産を取り上げる」ということが挙げられているのです。ですから、国家が1割以上の税を課すことは正しくありません。それは国民を奴隷とし呪われた状態にすることだからです。9%以下であれば問題はありません。2桁(10%)に達してしまうのが駄目なのです。2桁の税を課すのは国家における罪です。何故なら、どうして国民が国家の奴隷となっていいでしょうか。ですから、国家が2桁の税を課すならばその国家は必ず呪われてしまうでしょう。こういうわけですから、私たちは国家が総合で10%を超える税を取り立てないよう願わなければなりません。しかし、今の国家においてこのようになるのは難しいと思われます。聖書的な社会が実現していなければ、私が今述べたことも受け入れられにくいだろうからです。それゆえ、教会は信者の数が増えるよう願わなければなりません。信者の数が多く増えれば国も聖書的になっていくだろうからです。

【8:18】
『その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」』
 イスラエルに王が立てられ、その王が苦しみを民に齎したとしても、助けを求める民の叫びは神に聞き入れられません。何故なら、イスラエル人は予め王の厳しい権利を聞いていながら、王を立てたのだからです。王の厳しさを嫌うようであればそもそも最初から王など立てなければよかったのですが、ユダヤ人は王を立てたのですから、どうして神に助けを求める権利があるでしょうか。ユダヤ人が自分たちの意志によらず王を立てさせられたのだとすれば、神もユダヤ人の叫びを聞き入れて下さったかもしれません。しかし、ユダヤ人は自分たちの意志に基づき王を立てたのでした。

【8:19~20】
『それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや、どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」』
 王の齎す厳しい権利を聞いたにもかかわらず、イスラエル人は王を欲しがり続けました。王なき神による穏やかな統治よりも、神なき王による悲惨な統治のほうを彼らは選択したのです。ここに彼らの愚かさがありました。民は王が齎す悲惨について考えようとしていません。彼らはその悲惨を見ないようにし、自分で自分たちを欺いています。何故なら、その悲惨について考えるならば王に抵抗感を抱いてしまうだろうからです。彼らはどうしても王が欲しかったので、王の良い面だけを考えています(20節)。これは恋人に心酔しているので恋人の悪い面を全く見ようとしなくなっている人のようです。その人は、周りの人たちから恋人の欠点を聞かされても気にせず、恋人の良い面だけにうっとりして結婚を切願するのです。

【8:21~22】
『サムエルは、この民の言うことすべてを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」そこで、サムエルはイスラエルの人々に、「おのおの自分の町に帰りなさい。」と言った。』
 民が自分たちの要請を取り下げなかったので、神は民の願いを聞き入れよとサムエルに命じられます。これで神が民の言う通りにせよと言われたのは3度目です(1度目は8:7、2度目は8:9)。これは神の命令が絶対に守られなければならないことを意味しています。聖書において3度は確証や強調を示すからです。ですから、サムエルはたとえ死んでも民の言った通りに王を立てなければなりませんでした。こうしてサムエルは長老たちを『おのおの自分の町に帰』らせました。これは長老たちがイスラエルの各地からやって来ていたからです。

【9:1~2】
『ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。―キシュはアビエルの子、順次さかのぼって、ツェロルの子、ベコラテの子、アフィアハの子。アフィアハは裕福なベニヤミン人であった。―キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。』
 イスラエル初代の王サウルを生んだ父キシュについて書かれていますが、キシュの先祖アフィアハは裕福な人であり、神に恵まれていたことが分かります。彼らはベニヤミン人ですから、ユダの北側の地域に住んでいたでしょう。これから王となるサウルは『美し』く、『民のだれよりも、肩から上だけ高』い者でしたが、統治者にとって外観は少なからぬ重要性を持っています。何故なら、酷い外観であれば民衆の敬意を得られなくなる可能性があるからです。例えば、ゾンビのような外観の統治者に誰が耐えられるでしょうか。フランシス・ベーコンは「美しい人は非難されない。」と言っています。女であれ男であれ美しい人が全く非難されないということはありませんが、美しさとは大小様々な悪徳を覆う盾のような要素であり、人間は外観に大きく影響を受けるのですから、美しい人はあまり非難されない傾向があると思われます。動物や昆虫にしても、イルカは美しいので悪さをしてもほとんど非難されたり悪者扱いされませんが、ゴキブリは気持ち悪いので何一つしなくても存在しているだけで殺されてしまいます。こういうわけで、統治者にとってサウルのような美しさは大きな益となります。

【9:3~5】
『あるとき、サウルの父キシュの雌ろばがいなくなった。そこでキシュは、息子サウルに言った。「若い者をひとり連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」そこで、彼らはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、見つからなかった。さらに彼らはシャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いたが、見つからなかった。彼らがツフの地に来たとき、サウルは連れの若い者に言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのことを心配するといけないから。」』
 雀の一羽でさえその許し無しには落ちることがない神の働きかけにより(マタイ10:29)、キシュの所有していた雌ロバが行方不明となりました。これは偶然でなく神の摂理により起きたことでした。キリストが言われた通り、家畜がいなくなれば捜そうとしない所有者はいません(ルカ15:4)。ですから、キシュはサウルにいなくなった雌ロバを捜しに行かせました。しかし、サウルが捜してもその家畜は全く見つかりませんでした。神が捜しても見つからないよう働きかけておられたのです。ずっと見つからないままなので、サウルは父が心配することを考慮してもう帰宅しようとします(5節)。サウルがどれだけの間、家畜を捜していたのかは分かりません。この捜索の際、キシュがサウルに『若い者をひとり連れて』行くよう命じたのは、2人で行ったほうが何かとメリットがあるからです。それはソロモンも伝道者の書4:9~12の箇所で言っている通りです。

【9:6】
『すると、彼は言った。「待ってください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへまいりましょう。たぶん、私たちの行くべき道を教えてくれるでしょう。」』
 サウルがもう帰ろうとした時、一緒に来ていた若い者が『神の人』であるサムエルのところへ行くべきだと提案します。サウルたちはこの時にベニヤミンの地にいましたが、サムエルの住まいであるラマはこのベニヤミンの地にありました。若い者はサムエルのところに行けば、サムエルが『私たちの行くべき道を教えてくれる』と言いました。サムエルの『言うことはみな、必ず実現』するということが、イスラエル全体でよく知られていました。ですから、サムエルに尋ねるならば家畜のいる場所も示してくれるだろう、と若い者は思ったのです。サムエルの言うことが実現するというのは、Ⅰサムエル3:19の箇所でも示されていました。『神の人』とは神から特別に選ばれた神に忠実な聖徒のことであり、モーセもこの名称で呼ばれています(詩篇90篇、表題)。先に見たⅠサムエル2:27の箇所でも『神の人』が出ていました。また、このサムエルは人々から『敬われている人』でした。これはサムエルが少年の頃から主にも人にも愛される人物だったからです(Ⅰサムエル2:26)。

【9:7~10】
『サウルは若い者に言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、その神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」その若い者はまたサウルに答えて言った。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。私がこれを神の人に差し上げて、私たちの行く道を教えてもらいましょう。」―昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は、「さあ、予見者のところへ行こう。」と言った。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。―するとサウルは若い者に言った。「それはいい。さあ、行こう。」こうして、ふたりは神の人のいる町へ出かけた。』
 サウルは神の人に会うというならば、何か贈り物を送るべきだと考えました。この考えは間違っていませんでした。というのも敬虔な教導者は二重の尊敬を受けるに相応しいからです(Ⅰテモテ5:17)。教導者が贈り物を受け取るかどうかはさておき、サムエルのごとき敬虔な教導者に贈り物を持って行こうとすること自体は、敬意の現われですから間違っていないのです。しかし、サウルの手元には贈り物となるような物がもうありませんでした。そこで若い者が自分には『四分の一シェケルの銀があります』と言ったところ、サウルは『それはいい。』と応じます。こうして銀の贈り物を携えてサウルたちはサムエルのところに出かけます。サムエルの言葉を聞き、何とかして行方不明となった雌ロバを父に戻すためです。

 サウルたちはサムエルを『予見者』と呼んでいますが、この時代の預言者はこのように呼ばれていました。これは名称が異なるだけであり、実質は『予見者』も『預言者』も全く一緒です。サウルたちはサムエルのところへ行く際、『さあ、予見者のところへ行こう。』と言いましたが、これは当時の一般的な諺でした。9節目の箇所を考えるならば、このⅠサムエル記は預言者の時代以降に書かれたことが分かります。