【Ⅰサムエル記9:11~10:27】(2022/09/11)


【9:11~14】
『彼らはその町の坂道を上って行った。水を汲みに出て来た娘たちに出会って、「ここに予見者がおられますか。」と尋ねた。すると、娘たちは答えて言った。「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。きょう、あの高き所で民のためにいけにえをささげますから。町におはいりになると、すぐ、あの方にお会いできるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来て、いけにえを祝福されるまでは食事をしません。祝福のあとで招かれた者たちが食事をすることになっています。今、上ってください。すぐ、あの方に会えるでしょう。」彼らが町へ上って行って、町の中央にさしかかったとき、ちょうどサムエルは、高き所に上ろうとして彼らに向かって出て来た。』
 サウルたちは『水を汲みに出て来た娘たち』にサムエルの居場所を尋ねます。古代ユダヤで水汲みの仕事は娘たちが行なっていました。リベカも水汲みの仕事をしています(創世記24:15~16)。更に古代では異教徒の社会でも水汲み仕事が娘たちに委ねられていたと思われます。これは出エジプト記2:16の箇所から推論できることです。

 サウルたちがやって来た町に、サムエルも調度良くやって来ていました。これは何というぴったしなタイミングでしょうか。神はサウルとサムエルが出会うことを欲しておられました。ですから、摂理の働きにより、実に良いタイミングでサウルはサムエルの来ていた町に来ることが出来たのでした。何事であれ、もし神の御心でなければ、決してタイミングが合うことはありません。つまり、ある人とある人は決して出会えないままとなります。サウルたちも、もしサムエルと会うのが神の御心でなければ、ずっと出会うことがないままだったでしょう。こういわけで聖書はこう言っているのです。『すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る』(ローマ11章36節)。当然ながらサウルたちは、そこにサムエルがタイミングよく来ているとは知りませんでした。

 サムエルが町に来ていたのは『高き所で民のためにいけにえをささげ』るためでした。つまり、民の贖いをするためです。『高き所』とは犠牲を捧げる祭壇のある高い場所です。前述の通り、神は無限の高さにおられますから、神の祭壇は高い場所にあるのが相応しかったのです。サムエルが『いけにえを祝福』すると、サムエルは『招かれた者たち』と『食事をする』ことになっていました。この『食事』とは、律法で規定されている通り、生贄の肉を祭司と一般の民が共に食べて喜ぶことです。これは神の命令ですから必ず一緒に食事をしなければいけないのです。祭司を蔑ろにするのは神の御心に適っていません。『招かれた者たち』とは、その町にいた長老や有力者たちのことでしょう。ここ日本でも、例えば天皇がある街に来た際、その街の知事や有力者が出迎えて一緒に食事をしたりするのと同じです。

【9:15~17】
『主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。」サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。「ここに、わたしがあなたに話した者がいる。この者がわたしの民を支配するのだ。」』
 サウルが来る前日に、神はサムエルにサウルがやって来ると知らせておられました。全ては神の御計画により起こりますから、神は未来に起こることを全て知っておられます。ですから、このように予めサウルが来るとサムエルに預言されたのでした。神はもっと前からサウルについて預言することもできました。神がサウルの来る前日にサウルの到来を告げたのは、サムエルが神の僕だったからです。神は御自分の僕に前もって何が起こるか告げ知らせる御方なのです。次のように書いてある通りです。『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。』(アモス3章7節)神はサムエルにこのサウルを王として任じるよう命じられました。神の僕である祭司に叙任されるのが、王となる者としては相応しかったからです。その叙任の際に『油をそそ』ぐのは叙任の儀式です。古代で王を立てる場合にはこのような儀式が行なわれていました。民の叫びが聞き入れられたので、神はこのサウルを王として立てて下さったのです。このようにして王が立てられるならば、その王においてキリストが指し示されることにもなります。ですから、王が立てられるのは神の御心でした。もし御心でなければ王は立てられていなかったでしょう。

 ところで、どうしてサウルがイスラエル初代の王として選ばれたのでしょうか。ここまでの箇所ではその理由について示されていません。彼の外観がその理由だったのでしょうか(Ⅰサムエル9:2)。イスラエル人は王を求めました。ですから、神はもし王となるならば問題の感じられない外観のサウルを選ばれたのでしょうか。確かに、もしサウルの背が小さくモンスターのような外観だったとすれば、王としては相応しくなかったかもしれません。そうであれば民衆、ことに女性が不満を抱いていたかもしれません。そうなれば王を立てられた神の栄光にも関わってしまいます。しかし、後の箇所を見ると(Ⅰサムエル9:21)、サウルの選ばれた理由が何だったのか分かります。その理由についてはまた後ほど見ることにしましょう。

【9:18~19】
『サウルは、門の中でサムエルに近づいたとき、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」サムエルはサウルに答えて言った。「私がその予見者です。』
 サウルがサムエルの居場所について尋ねたのは正にサムエルその人でした。これは何というピンポイントな巡り合わせでしょうか。世の人であれば「何という偶然か。」と言っていたかもしれません。しかし、これは偶然ではありません。神がサウルとサムエルの出会いと欲しておられたのです。ですから、神の意図によりこのような巡り合わせが実現されたのでした。

【9:19~21】
『この先のあの高き所に上りなさい。きょう、あなたがたは私といっしょに食事をすることになっています。あしたの朝、私があなたをお送りしましょう。あなたの心にあることを全部、明かしましょう。三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないように。あれは見つかっています。イスラエルのすべてが望んでいるものは、だれのものでしょう。それはあなたのもの、あなたの父の全家のものではありませんか。」サウルは答えて言った。「私はイスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないものではありませんか。どうしてあなたはこのようなことを私に言われるのですか。」』
 サムエルはサウルの来る前日に神から預言を受けていましたから、サウルのことは会う前からもう知っていました。サムエルはサウルと『いっしょに食事をする』と言っています。このように言われたサウルは非常に驚きました。何故なら、サウルは『イスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人』であって、サウルの家族は『ベンヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないもの』だったからです。「私のような取るに足らない者が、急にやって来たにもかかわらず、いきなり神の人と親しく食事の席に出られるとでもいうのか。」このような類のことをサウルは心の中で思っていたはずです。このようにサウルは「どうして私などが…。」と驚きつつ思っていたのですが、実にこれこそサウルが王として神から選ばれた理由だったのです。もし人間が選ぶのだとすれば、恐らく高貴な人物を王にすべく選んでいたかもしれません。しかし神の場合、パウロもⅠコリント1章で言っている通り、サウルのような取るに足らない者をこそ選ばれます。それは『神の御前でだれをも誇らせないため』(Ⅰコリント1章29節)なのです。もし高貴な者が選ばれたとすれば、高貴な者は自分が高貴だからこそ選ばれたと思って誇るかもしれません。そうすれば神に栄光が帰されなくなります。そのようになれば神が何のために選ばれたのか分からなくなってしまいます。このサウルを『あしたの朝』、サムエルは送り出すと言っています。神の人から送られるというのは何という光栄でしょうか。これはサウルがこれから王になる人物だったからです。またサムエルはサウルの捜していた雌ロバがもう見つかっていると言いました。この発言はサムエルが真の預言者だったことを意味しています。何故なら、サムエルはまだサウルが雌ロバについて話す前から雌ロバのことを話したのだからです。もしサムエルが真の預言者でなかったとすれば、サウルが語るまで雌ロバについて何も知らなかったことでしょう。またサムエルは、イスラエルの全体がサウルを王として欲していると言っています。もう機は熟していました。それゆえ、サウルが王として示されたならば民はサウルを王として受け容れていたのであって、実際に民はサウルを拒んだりしませんでした。

【9:22~24】
『しかし、サムエルはサウルとその若い者を広間に連れてはいり、三十人ほどの招かれた者の上座に彼らを着かせた。サムエルが料理人に、「取っておくようにと言って渡しておいた分を下さい。」と言うと、料理人は、ももとその上の部分とを取り出し、それをサウルの前に置いた。そこでサムエルは言った。「あなたの前に置かれたのは取っておいたものです。お食べなさい。私が客を招いたからと民に言って、この時のため、あなたに取っておいたのです。」その日、サウルはサムエルといっしょに食事をした。』
 サウルが恐縮していることなど気にもせず、サムエルはサウルを食事をする広間に招きます。サウルが何を言おうともサムエルには関係ありませんでした。何故なら、サウルが王となることは既に神の預言により確実だと分かりきっていたからです。

 こうしてサウルは『三十人ほどの招かれた者の上座に』着かせられます。これはつまりサウルがその中で最も高い位を持っているということです。というのも、サウルはこれから王となることが決まっていたからです。そしてサムエルはサウルのため取っておかせた肉を料理人に持って来させ、2人は共に食事をします。このようにサウルが厚遇されたのはもちろんサウルが王に定められていたからです。もしサウルが普通の人であったとすればサムエルはこのようにしていなかったでしょう。もし普通の人にさえこうしなければいけないのであれば、普通の人は沢山いるわけですから、食事の肉がどれだけあっても足りなくなってしまうでしょう。

【9:25~26】
『それから彼らは高き所から町に下って来た。サムエルはサウルと屋上で話をした。朝早く、夜が明けかかると、サムエルは屋上のサウルを呼んで言った。「起きてください。お送りしましょう。」サウルは起きて、サムエルとふたりで外に出た。』
 食事が終わると、サムエルとサウルは『高き所から町に下って来』て、『屋上で話』が持たれました。サウルが王として召されたことや雌ロバについて話し合われたのでしょう。2人が屋上で話したのは、王についての事柄が周囲の人に聞かれるべきではなかったからなのでしょう。もしすぐにもその話が知れ渡るならばイスラエルの全体が大騒ぎするだろうからです。サウルも自分が王に召されたことを話さないで隠していました(Ⅰサムエル10:16)。この屋上がどのぐらいの高さだったのかは分かりません。

 こうしてサウルはその場所で寝ましたが、しばらくするとサムエルに起こされ、その場所から送られることになりました。サウルは自分に何が起きているのか理解できていなかったかもしれません。ただ雌ロバについて尋ねようとしていただけなのに、いきなり王になるなどと神の人から言われてしまったのですから。これほどまで予期できないことが他にあるでしょうか。

【9:27】
『彼らは、町はずれに下って来ていた。サムエルはサウルに言った。「この若い者に、私たちより先に行くように言ってください。若い者が先に行ったら、あなたは、ここにしばらくとどまってください。神のことばをお聞かせしますから。」』
 サムエルはこれからサウルを王に叙任し、サウルに『神のことばをお聞かせ』するため、サウルと一緒に来ていた若い者を遠ざけるため先に行かせようとさせます。まだサウルが王になるという重大な事柄はイスラエルに知れ渡るべきでなかったからです。もし若い者がその場にいれば、その若い者を通してサウルの任職についてイスラエル全体が知りかねないからです。重大な事柄はすぐ人に話したくなるのが人間の自然な傾向なのですから。

【10:1】
『サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。』
 こうして遂にサウルはイスラエルの王として叙任されました。この箇所からはサムエルがサウルを叙任したように見えます。しかし、サウルを実際に叙任したのは神であられました。何故なら、王権を含め全て権威を与えるのは神であられるからです(ローマ13:1)。つまり、神がサムエルの手によりサウルを叙任されました。サムエルは神がサウルを叙任するための代理者また道具に過ぎませんでした。この時にサムエルは『油のつぼ』から叙任の油を大量に降り注ぎました。油注ぎは少量ではありませんでした。この油はオリーブ油だったはずです。叙任の時にサムエルがサウルに『口づけ』したのは、王になったサウルへ親愛の意を示すためです。『口づけ』した場所は髪の毛か額か手だったはずです。あまりスキンシップをしない我々日本人にとって、このような行為を理解しにくい人も中にはいるかもしれません。サウルを王とされたのは神でしたから、この叙任には絶対的な意味がありました。ですから、民がサウルを王として受け容れないことは許されないことでした。神がこのサウルを王としてイスラエルに正式にお与えになったのですから。

【10:2】
『あなたが、きょう、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、ふたりの人に会いましょう。そのふたりはあなたに、『あなたが探して歩いておられるあの雌ろばは見つかりました。ところで、あなたの父上は、雌ろばのことなどあきらめて、息子のために、どうしたらよかろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます。』と言うでしょう。』
 サムエルは、サウルがこの度に起きた出来事を何か夢でもあるかのごとく勘違いしないようにするため、これからサムエルを離れて行くと『ふたりの人』に会うと預言しました。彼らは、サウルにサウルの父がサウルを心配していたと伝えます。この預言が実現するならば、それはサウルにとってこれまでに起きた出来事が真実であったという確かな印となります。これからサウルに会うこの2人が「2人」だったのは、サウルに話す事柄を強く確証させるためだったはずです。何故なら、律法によれば事柄の真実は2人(または3人)の証言により確認されるべきだからです。もしサウルに会ったのが「1人」だけだった場合、律法によれば、その人が言ったことは真実性に乏しくなってしまうのです。『ラケルの墓』は『ベツレヘムへの道』(創世記35章19~20節)にありました。ヤコブがそこにラケルの墓を建ててから、およそ700年もその墓はずっとそこにあり続けていました。

【10:3~4】
『あなたがそこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで来ると、そこでベテルの神のもとに上って行く三人の人に会います。ひとりは子やぎ三頭を持ち、ひとりは丸型のパン三つを持ち、ひとりはぶどう酒の皮袋一つを持っています。彼らはあなたに安否を尋ね、あなたにパンを三つくれます。あなたは彼らの手から受け取りなさい。』
 サウルにはもう一つの印が与えられます。サウルがラケルの墓から更に進むと、今度はそれぞれ異なる物を持つ3人の人と出会います。彼らは聖所のあるベテルへ巡礼に行く最中でした。このうちの一人が『子やぎ三頭』を持っていたのは、神への生贄として捧げるためです。別の一人が『丸型のパン三つ』を持っていたのは、旅の食物です。もう一人の人が『ぶどう酒の皮袋一つ』を持っていたのは、旅の最中に喉の渇きを癒しまた元気を付けるためです。この時代において葡萄酒は皮袋に入れて保存・保管するのが普通でした。彼らは3つあるパンから2つのパンをサウルにくれますが、これがサウルに対するもう一つの印となります。サウルはこのパンを受け取らねばなりません。それはサウルが自分に対し与えられた印を確認するためです。この3人が行こうとしていた『ベテル』はサムエルの住まいがあったラマから10kmほど北に離れています。『タボル』はユダヤの北にあるタボル山と無関係です。

【10:5~7】
『その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町にはいるとき、琴、タンバリン、笛、立琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが、主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。』
 サウルにはもう一つの印が与えられます。サウルが3人の巡礼者たちから離れて更に進むと、今度は『高き所から降りて来る預言者の一団に出会います』。彼らに会うと、サウルも彼らのように預言者の一人となります。サウルが預言者になるというのは驚くべきことでした。それが驚くべきことだからこそ印となるのです。このような印により、サウルは自分が王に召されたことを真実な事柄として悟るのです。この時には『主の霊が』サウルの『上に激しく下』ります。これは主の霊が強く豊かに臨まれるということです。こうしてサウルは主の霊により導かれることとなります。すなわち、もはや自分の勝手な意志により何かをするのではありません。このようにしてサウルは『新しい人に変えられ』ます。『ギブア』はラマから10kmほど南に離れた場所です。

 サムエルは、サウルが預言者となったならば『手当たりしだいに何でも』するよう指示します。これは『神が』サウルと『ともにおられるから』でした。神が共におられるのであれば悪いことはしないでしょう。主の霊が激しく下られたのであれば御心に適った正しいことだけをするでしょう。ですから、サウルは本当に何でもして良かったのです。悪い行為をする心配は全くないのです。私たちも神が共におられるのであれば、何でも御心に適ったことをするがよいでしょう。神が共におられるならば悪行はしないはずです。神は悪を行なう者と共にいて下さいませんから。もし神が共におられるのであれば、私たちが行なったその行ないは、最終的に必ずや成功し実を結ぶことでしょう。

【10:8】
『あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます。」』
 これら3つの印が与えられたならば、サウルはヨルダン川のすぐ近くにある『ギルガル』に行かねばなりません。そこでサムエルが『全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげる』からです。サウルはサムエルよりも早くギルガルに着いていなければいけませんでした。そして、そこに着いたらサムエルの到着まで『七日間』待つべきでした。これはサウルの忍耐を鍛えるためでしょう。待機の期間が『七日間』だったのは、その期間における完全性を示しています。サムエルがギルガルに着くと、サウルは『なすべき事』を教えられます。今この時に教えられるのではありません。サウルがギルガルに着いてから7日後に教えられます。これはサウルの忍耐を確認すべきだったからなのでしょう。

【10:9】
『サウルがサムエルをあとにして去って行ったとき、神はサウルの心を変えて新しくされた。こうして、これらすべてのしるしは、その日に起こった。』
 サウルがサムエルから離れて行くと、サウルは神により変えられました。サウルはこの時から王としての自覚をはっきり持ったはずです。この変化はサウルに対する特別な御恵みにより、サウルが王になったからであり、もしサウルが王にならなかったとすれば特別な御恵みも注がれはしなかったでしょう。内的な変化なしに王としてしっかり歩むことは難しいので、神はまずサウルの『心を変えて新しくされた』のでした。そして、これまでに見た3つの印は『その日に起こった』のであり、日をまたぐことはありませんでした。少し考えれば分かる通り、それらの印が1日の間に起こることは十分に可能でした。

【10:10~13】
『彼らがそこ、ギブアに着くと、なんと、預言者の一団が彼に出会い、神の霊が彼の上に激しく下った。それで彼も彼らの間で預言を始めた。以前からサウルを知っている者みなが、彼の預言者たちといっしょに預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルもまた、預言者のひとりなのか。」そこにいたひとりも、これに応じて、「彼らの父はだれだろう。」と言った。こういうわけで、「サウルもまた、預言者のひとりなのか。」ということが、ことわざになった。サウルは預言することを終えて、高き所に行った。』
 サムエルが預言した通り、サウルは道を進むと『預言者の一団』と出会いました。この預言者たちがどれだけいたかは書かれていないので分かりません。しかし、かなりいただろうと思われます。例えば、30人ぐらいいた可能性も十分にあります。

 サムエルが言った通り、サウルが預言者の一団に出会うと、神の霊がサウルに下りサウルも預言者の一人となりました。このためサウルも預言者の一団に加わり預言をしました。この預言がどのような内容だったかは分かりません。この預言は神の霊によったので、語られてからその内容は全て実現されました。このようにサウルは預言者となったのですが、『以前からサウルを知っている者みな』は、この出来事に驚きを隠せませんでした。何故なら、サウルは普通の人だと思われていたのに預言者となったのだからです。このため、この時に『サウルもまた、預言者のひとりなのか。』と言われた言葉が、イスラエルの諺になりました。これは意外であることを意味する諺です。例えば今の日本で言えば、無宗教だと思っていた人が敬虔なクリスチャンだったと分かったので驚いたのであれば、『サウルもまた、預言者のひとりなのか。』という諺を使用することが可能です。こうしてサウルは預言を終えてからギルガルに行きました。なお、この時にサウルと一緒にいた若い者は預言者とならなかったはずです。なぜなら、この箇所では預言をしたのが『彼』すなわちサウルだけであると示されているからです。もしサウルと共に若い者も預言者となったのであれば、この箇所では『彼』ではなく「彼ら」と書かれていたに違いありません。

【10:14~16】
『サウルのおじは、彼とその若い者に言った。「どこへ行っていたのか。」するとサウルは答えた。「雌ろばを捜しにです。見つからないのでサムエルのところに行って来ました。」サウルのおじは言った。「サムエルはあなたがたに何と言ったか、私に話してくれ。」サウルはおじに言った。「雌ろばは見つかっていると、はっきり私たちに知らせてくれました。」サウルは、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった。』
 サウルが行方不明になっていたことはイスラエル人の多くに知られており、サウルの叔父もそのことを知っていました。サウルが叔父と会ったところ、叔父が『どこへ行っていたのか。』と尋ねたので、サウルはサムエルのところに行っていたと答えます。すると叔父はサムエルが何と言ったのか尋ねたので、サウルは雌ロバに関してサムエルが語ったことだけを話しました。すなわち、『王位のことについては、おじに話さなかった』のです。これは王位についてまだ公的に周知されていないので信じてもらえないとサウルが思ったからなのかもしれません。そうでなければ、まだ公にされていない以上、自分から勝手に話すべきではない、という思慮により話さなかったのでしょう。これはサウルの臆病さを示しているのでしょうか、それとも思慮深さを示しているのでしょうか。どちらであるか判定するのは難しいことです。サウルはこのどちらの性質も持っていたのですけども。

【10:17~18】
『サムエルはミツパで、民を主のもとに呼び集め、イスラエル人に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはイスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたをしいたげていたすべての王国の手から、救い出した。』』
 サムエルはサウルを王に立てるべく『ミツパ』で民を集合させました。『ミツパ』はラマから10kmほど北に離れています。民がミツパに集まると、神はまずイスラエル人が受けた救いについて語られました。神は最初、イスラエル人をエジプトでの屈従と苦難から救い出して下さいました。また神は、イスラエル人をカナンの地でも幾度となく敵の手から救い出して下さいました。少し前にも神はイスラエルをペリシテ人の手から救い出されました(Ⅰサムエル記7章)。これまで与えられた救いは神の御恵みによりました。神がもしイスラエルを救っておられなければ、イスラエルはずっと敵に支配されて苦しい状態のままでした。イスラエルにとって神とは命の恩人であって、この時のイスラエルは神とその救いなしに存在していませんでした。ですから、当然の帰結として神はイスラエルに対する絶対的な主権をお持ちであられました。

【10:19~21】
『ところで、あなたがたはきょう、すべてのわざわいと苦しみからあなたがたを救ってくださる、あなたがたの神を退けて、『いや、私たちの上に王を立ててください。』と言った。今、あなたがたは、部族ごとに、分団ごとに、主の前に出なさい。」こうしてサムエルは、イスラエルの全部族を近づけた。するとベニヤミンの部族がくじで取り分けられた。それでベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づけたところ、マテリの氏族が取り分けられ、そしてキシュの子サウルが取り分けられた。』
 イスラエル人は、これまで自分たちを敵から救い出して下さった神、またこれからも敵から救い出して下さる神を退けて、神という王でない王すなわち人間の王を求めました。この求めは神に対する嫌悪および反逆心に基づいていました。つまり、神とその支配が不快に感じられたので、人間とその支配を求めました。これは神の御心に適わない不敬虔な求めでした。

 このようにイスラエル人が神を退けるのは良くなかったものの、前述の通り王が立てられること自体は御心に適っていたので、ここで正式に王が立てられることとなりました。王の選出方法は『くじ』によりました。これは御心に適った正しい選出方法でした。何故なら、籤による決定は神の意志なのですから(箴言16:33)。それゆえ、神の民であったユダヤ人は籤による選出方法に異を唱えませんでした。籤を引くと、まず『ベニヤミンの部族』が、次に『マテリの氏族』が、そして『キシュの子サウル』が取り分けられました。籤には全く神が働きかけておられたので、サウル以外の人物が取り分けられることはあり得ませんでした。

【10:21~24】
『そこで人々はサウルを捜したが、見つからなかった。それで人々がまた、主に、「あの人はもう、ここに来ているのですか。」と尋ねた。主は、「見よ。彼は荷物の間に隠れている。」と言われた。人々は走って行って、そこから彼を連れて来た。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった。サムエルは民のすべてに言った。「見よ。主がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない。」民はみな、喜び叫んで、「王さま。ばんざい。」と言った。』
 サウルが公に王として選び出されたものの、肝心のサウルがその場にいませんでした。そこで民が神にサウルの居場所を尋ねると、神から答えがあったので、『荷物の間に隠れている』サウルが見つかり連れて来られました。サウルが隠れていたのはサウルの臆病さを示しているのでしょう。これは慎重さの現われではなく臆病さの現われであったはずです。サウルはもし可能であり許されるとすれば、いつまでも隠れ続けていたかったはずだと思われます。このように隠れていてもいつか必ず明らかとなり、見つかってしまいます。それは神が隠れている事柄を明るみに引き出されるからです。こういわけですから神を侮るべきではないのです。このようにしてサウルが正式にイスラエル人の王として立てられました。サムエルは、このサウルよりも上に立つイスラエル人はいないと宣言します(24節)。サウルよりも上に立つ存在はイスラエルにおいて神だけだからです。この宣言は、サウルの外観も手伝って民にすんなり受け入れられました。というのもサウルは『民のだれよりも、肩から上だけ高かった』からです。サウルは既に叙任の油注ぎを受けていたので(Ⅰサムエル記10:1)、ここで再びその儀式が繰り返されることはありませんでした。叙任の儀式は、バプテスマの儀式と同じで、ただ1回だけ行なわれればそれでよいからです。もしサウルがまだ油注ぎを受けていなければ、恐らくこの時に民の前で受けていた可能性は高かったでしょう。このようにして王となったサウルに対し、民は『王さま。ばんざい。』という祝福と歓喜の言葉を送ります。これこそイスラエルにおいて最初の王が立てられた歴史的な出来事でした。

【10:25~27】
『サムエルは民に王の責任を告げ、それを文書にしるして主の前に納めた。こうしてサムエルは民をみな、それぞれ自分の家へ帰した。サウルもまた、ギブアの自分の家へ帰った。神に心を動かされた勇者は、彼について行った。しかし、よこしまな者たちは、「この者がどうしてわれわれを救えよう。」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかしサウルは黙っていた。』
 続いて『サムエルは民に王の責任を告げ』ましたが、この『責任』とは先の箇所で宣言されていた王の持つ様々な権利です(Ⅰサムエル8:11~18)。そして、サムエルは『それを文書にしるして主の前に納めた』のですが、これは聖所におられる主の御前に献納したということです。このようにして王の民に対する権利は揺るがないものとされました。何故なら、主の御前にその権利書が納められたというのは、その権利が公的に認可されたということだからです。

 事が全て終了したので民は解散し、それぞれ自分の住まいへと帰宅しました。帰宅時の民が喜ばしい笑顔に満ちていたことは疑い得ません。何故なら、民は遂に念願の王を得ることが出来たからです。

 サウルもギブアにある自宅に帰りましたが、『神に心を動かされた勇者』がサウルに付いて行きました。彼らは神からサウルへの忠誠心を与えられた勇気と力のある者であって、所謂「お供の者」です。彼らの数はどれだけだったか分かりませんが、かなりいた可能性も十分にあります。ところが、『よこしまな者たち』はサウルを歓迎せず、敬意の証明としての『贈り物』をサウルに送ろうとはしませんでした。このような彼らの態度は良くありませんでした。神が立てられた権威者を受け入れないというのは、神に対する悪だからです。この者たちの態度にサウルは沈黙していましたが、これは彼の思慮深さまた冷静さを示していると見ていいでしょう。この『よこしまな者たち』がどれだけいたかは分かりません。