【Ⅰサムエル記11:1~13:4】(2022/09/18)


【11:1~4】
『その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。』
 不義の子らであるアモン人の国はユダヤの東にありましたが、このアモン人がユダヤの『ヤベシュ・ギルアデ』に攻めて来ました。いつもであれば、これは罪に対する裁きとして起きた出来事だったでしょう。しかし、この時のユダヤは既に罪を自分たちから取り除いていました(Ⅰサムエル7:4)。ですから、今回はアモン人が神の裁きにより攻めて来たというわけではありませんでした。今回は、アモン人を神がサウルにより駆逐するため、このような出来事が起こりました。この時に攻めて来たアモン人がどれだけいたかは分かりません。『ヤベシュ・ギルアデ』はユダヤの北東、ヨルダン川の東にあり、そこはマナセの半部族における相続地だった場所です。

 ナハシュ王の率いるアモン軍に対し、ヤベシュにいたユダヤ人は勝てそうもないと感じられました。そこでヤベシュ人たちはアモン人と戦わず降伏することを選びました。彼らは戦って死ぬより、死なずに屈服することを望んだのです。しかし、不義によって生まれた者の子孫に相応しく、アモンの王は残酷な内容でユダヤ人との降伏に合意しようとします。アモン人はヤベシュにいるユダヤ人の右目を抉り取ろうとしましたが、これは惨めになったヤベシュ人を通してユダヤの全体に『そしりを負わせ』るためでした。アモン人はイスラエル人に敵対心を持っていたので、このような条件を提示したのです。ヤベシュ人にこの条件は受け入れ難いことでしたから、『七日の猶予を』求め、その間にイスラエルにいる仲間たちに助けを求めることにしました。ヤベシュ人の未来は仲間が助けてくれるかどうかにかかっていました。もしイスラエル人の仲間が助けてくれるならば共にアモン人を追い返せばいいのであり、もし誰も助けてくれないならば惨めにも降伏するしかありませんでした。こうしてヤベシュから送られた使者たちは『サウルのギブアに来』ましたが、事情を聞き知ったユダヤ人は『声をあげて泣』きました。実に悲惨な事態となったからです。仲間意識の強いユダヤ人にとって仲間たちの悲劇は自分の悲劇も同然の大問題なのです。

【11:5~8】
『そこへ、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、どうしたのですか。」そこで、みなが、ヤベシュの人々のことを彼に話した。サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。サウルがベゼクで彼らを数えたとき、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。』
 民がヤベシュのことで悲しみ泣いていた時、何も事情を知らないサウルが帰って来ましたので、民はサウルにヤベシュに関して事情を話します。この時にサウルが『牛を追って畑から帰って来た』のは、牛が逃げたので追いかけてきたか、牛を移動させるため追い立てていたからです。この時のサウルはまだ王としての職務を正式に行なっていませんでした。

 事情を聞いたサウルは神の霊により大いなる義憤を持ち、彼が追っていた牛を切り分けてイスラエル中に送り、もしアモン人と戦うため出て来ない者があればその者の所有する牛を送られた牛のように切り分けると威嚇します。これを受けて民は主に対する恐れを抱いたので、敵と戦うため各地から集まって来ました。実例を示すこのようなやり方は大きな効果がありました。サウルは集まって来た者たちをシェケムの北にある『ベゼク』に集めます。これはかつてアドニ・ベゼクが支配していた地域です(士師記1章)。集まった戦士たちを数えると、『イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人』でした。この時代のユダヤ人がどれだけいたか不明ですので、この集まった戦士たちの総人口に対する比率が多かったか少なかったか判断することは難しいでしょう。ただ絶対数を見ればかなりの数だったことは明らかです。ここで言われている『三十万』また『三万人』という数字に何か象徴的な意味はないはずです。

【11:9~11】
『彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言わなければならない。あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って来て、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。ヤベシュの人々は言った。「私たちは、あす、あなたがたに降伏します。あなたがたのよいと思うように私たちにしてください。」翌日、サウルは民を三組に分け、夜明けの見張りの時、陣営に突入し、昼までアモン人を打った。残された者もいたが、散って行って、ふたりの者が共に残ることはなかった。』
 ヤベシュの人々にイスラエル人の助けがあると知らされたので、ヤベシュの人々は大いに喜びます。助けがあれば、片目の喪失と敵に対する屈服を免れるだろうと思えたからです。ヤベシュ人の喜びには確かな根拠がありました。何故なら、イスラエルからは援軍が30万人も送られるからです。この大きな数に期待しない人がいるのでしょうか。しかし、もし援軍の数が少なければ、援軍が送られるとしても全く、またはあまり喜べていなかったかもしれません。少ししか援軍がいなければ敵であるアモン人たちに打ち勝てるかどうか分からないからです。

 『翌日』になるとサウルはアモン人の陣営を急襲して搔き乱します。サウルが『夜明けの見張りの時』を選んだのは、夜であれば見通しも悪く不意打ちが可能だったからなのでしょう。また『民を三組に分け』たのは、3つの方向から攻撃することでなるべく逃亡する生存者を生じさせないためだったのでしょう。一つの方向からしか攻撃しないと、攻撃を仕掛けていない方向から逃げやすくなってしまいます。イスラエル軍の攻撃が『夜明け』から『昼まで』続いたのは、アモン軍の兵士がかなり多かったので駆逐するのに時間を要したからだと考えられます。しかし例のように戦争で兵士たちが全滅させられるということは稀であって、この時のアモン人にもやはり『残された者』が出ました。『ふたりの者』と言われているのは、2人一組で陣営の夜番をしていたアモン兵です。このようにして神はサウルを通してヤベシュ人に勝利の御恵みを与えて下さいました。この時のユダヤからは忌むべき偶像が除き去られていました。ですから、神もこのようにして恵み深く働きかけて下さったのです。

【11:12~13】
『そのとき、民はサムエルに言った。「サウルがわれわれを治めるのか、などと言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」しかしサウルは言った。「きょうは人を殺してはならない。きょう、主がイスラエルを救ってくださったのだから。」』
 サウルが王になるのを望まなかった『よこしまな者たち』(Ⅰサムエル記10:27)を、サウルを王として受け容れていた大勢の民が殺そうとします。神により立てられた王を認めない者はイスラエル社会にとって邪魔となるからです。サウルも『よこしまな者たち』を死刑に処すること自体は問題視しませんでした(13節)。しかし、サウルはその者たちを殺さないよう制止します。何故なら、この日はイスラエル人の救いの日であって死の日ではないからです。実際はどうだったか分かりませんが、恐らく彼らはこの時に心臓が止まる思いだったかもしれません。彼らはサウルにより死を免れたことになります。

【11:14~15】
『それからサムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルへ行って、そこで王権を創設する宣言をしよう。」民はみなギルガルへ行き、ギルガルで、主の前に、サウルを王とした。彼らはそこで主の前に和解のいけにえをささげ、サウルとイスラエルのすべての者が、そこで大いに喜んだ。』
 サムエルはギルガルにサウルと民を連れて行き、そこで御前にサウルを王として宣言しました。こうしてサウルは正式にイスラエルの王となりました。民は望み求めていた王を得たので大いに喜びました。これ以降、イスラエルには約450年の間、王制が続きます。イスラエルが2つの国に分裂して後、北王国イスラエルでは前720年まで、南王国ユダでは前585年まで王がいました。ギルガルで民が『主の前に和解のいけにえをささげ』たのは、まず和解しなくては主の御前に立つことができないからです。この動物の『いけにえ』は神の御子イエス・キリストを示しています。

【12:1~3】
『サムエルはすべてのイスラエル人に言った。「見よ。あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、あなたがたの上にひとりの王を立てた。今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年をとり、髪も白くなった。それに私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」』
 民が王を自分たちの支配者として求めたのは、サムエルからすれば自分が退けられることに他なりませんでした。何故なら、それまではサムエルがイスラエルを導いていたのに、民はサムエルでない存在である王を導き手として求めたからです。これでは民が「サムエルなどいらない。」とでも言わんばかりです。ですから、サムエルが王を求めた民に不満がったのはもっともでした。そこでサムエルはもし自分が何か民に悪を行なったのであれば主とサウルの前で訴えてみよ、と民に対して言います。これはサムエルが自分の正しさを主張するためでした。つまり、サムエルは自分が統導者として何か悪いからというので王制に移行したのでないということを示そうとしたのです。実際、サムエルは民に悪を行なっていませんでしたから、サムエルのゆえ王が立てられたというのではありませんでした。サムエルが自分で言っている通り、サムエルは民の要求を全て聞き入れました(1節)。これは神が民の要求を聞き入れるようサムエルに命じたからです(Ⅰサムエル8章)。サムエルは自分の仕えている神に従う義務がありました。もしサムエルが自分で好きなように決めてよかったとすれば、民の要求を退けていたかもしれません。また、2節目で書かれている通り、この時のサムエルは『年をとり、髪も白くなっ』ていました。そしてサムエルの息子たちは民と共にいるようになっていました(以前はまだ息子たちもいませんでした)。もうイスラエルに変化の時が来ていました。サムエルという1人の祭司による統導から王による統導へと。

【12:4~5】
『彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」そこでサムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見いださなかったことについては、きょう、あなたがたの間で主が証人であり、主に油そそがれた者が証人である。」すると彼らは言った。「その方が証人です。」』
 サムエルに対し民は何も問題点を見出しませんでした。実際、サムエルは民に正しいこと、良いことしか行なっていませんでした。そこでサムエルは自分に何も悪い点が無いことの証人として『主』および『主に油そそがれた者』を立てます。この証人を民は承認しました。こうしてサムエルが悪かったからというので王がイスラエルに立てられたのではないということが、正式に認められました。

【12:6~7】
『サムエルは民に言った。「モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせたのは主である。さあ、立ちなさい。私は、主があなたがたと、あなたがたの先祖とに行なわれたすべての正義のみわざを、主の前であなたがたに説き明かそう。』
 神は、かつてユダヤ人の先祖たちをエジプトでの屈従と苦悩から救い出されました。その時からユダヤ人に神の民としての歩みが始まりました。それは紀元前1300年頃のことです。サムエルはその時から今に至るまで神が『行なわれたすべての正義のみわざ』を、民に対し示そうとします。これは神の大きな御恵みと偉大な主権を示すことで、神を退け王を求めたイスラエル人の忘恩を明らかにするためでした。神が幾度となくユダヤ人を救われたのにもかかわらず、ユダヤ人が神を退けたとすれば、ユダヤ人は責められて然るべきだからです。この箇所でサムエルが『立ちなさい。』と民に言っているのは、身体的に起立せよという意味ですが、これは精神的な起立すなわち語られている事柄によく注意するということも当然ながら求められています。何故なら、サムエルはこれから重要な事柄を説き明かすというので、民に起立することを要求したのだからです。身体だけ立っても、精神が立っていなければ、起立するという身体的振る舞いに何の意味があるでしょうか。それだったら座っていても精神が起立していたほうが遥かに優っています。

【12:8】
『ヤコブがエジプトに行ったとき、あなたがたの先祖は主に叫んだ。主はモーセとアロンを遣わされ、この人々はあなたがたの先祖をエジプトから連れ出し、この地に住まわせた。』
 ヤコブが70人でエジプトに移住してから(創世記46:27)、ヤコブの子らであるイスラエル人はエジプト人から奴隷状態として扱われていました。その期間は400年続き、イスラエル人は完全に消耗しきっていました。そのような時にユダヤ人が神を求めて叫ぶと、神はモーセとアロンを起こされ、この2人によりイスラエル人をエジプトから解放して下さいました。神がイスラエルを救われたのは、その救いにより御自分の恵みの栄光を現わされるためでした。これ以降、イスラエル人は神の民として歩むことになります。それから40年後、神はイスラエル人を『この地』であるカナンに入植させて下さいました。

【12:9~11】
『ところが、彼らは彼らの神、主を忘れたので、主は彼らをハツォルの将軍シセラの手、ペリシテ人の手、モアブの王の手に売り渡された。それで彼らが戦いをいどまれたのである。彼らが、『私たちは主を捨て、バアルやアシュタロテなどに仕えて罪を犯しました。私たちを敵の手から救い出してください。私たちはあなたに仕えます。』と言って、主に叫び求めたとき、主はエルバアルとベダンとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたがたは安らかに暮らしてきた。』
 ユダヤ人は自分たちを救い出して下さった神を捨て、愚かにも偽りの神々に仕えたので、神は裁きとして彼らを敵の手に委ねられました。ここではその敵として『ハツォルの将軍シセラ』、『ペリシテ人』、『モアブの王』が挙げられています。これらの敵にユダヤ人が支配されたことについては、既にここまでの註解箇所で見た通りです。もしユダヤ人が偽りの神々に仕えるという罪を犯していなければ、裁きは下されていませんでしたから、これらの敵から支配されることもなかったでしょう。ユダヤ人が敵の支配に苦しむ中、神に助けを叫び求めると、神は救助者を遣わしてユダヤ人が救われるようにして下さいました。ここではその救助者として『エルバアルとベダンとエフタとサムエル』が挙げられています。ユダヤ人は偽りの神々である偶像を捨て去っていました。ですから、神もユダヤ人に救いをお与え下さったのです。こうしてユダヤ人は神から救われる度に『安らかに暮らしてき』ました。神がユダヤを救われたのは、ただ一方的な御恵みによるのであって、ユダヤ人が何か優れていたからというのではありませんでした。ですから、ユダヤ人は自分たちに与えられた救いの功績を全く神にのみ帰さねばなりませんでした。

【12:12~13】
『あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めなければならない。』と私に言った。今、見なさい。あなたがたが選び、あなたがたが求めた王を。見なさい。主はあなたがたの上に王を置かれた。』
 アモン人がヤベシュ・ギルアデに攻めて来た際、イスラエル人の反逆は更に著しくなりました。アモン人から助けてくれる存在として、それまでイスラエル人の王であられた神ではなく、人間の王を求めたのです。この求めは、これまでの反逆精神が実を結んだようなものでした。このようにしてイスラエル人は神を退けました。また彼らは神だけでなく神の代理としてイスラエル人を治めていたサムエルをも退けました。ですから、神とサムエルはこの求めを歓迎できませんでした。しかし、神は王によりキリストというユダヤ人の王を予表させようとしておられましたので、民の求めた通り王を立てられました。つまり、ユダヤ人の求めは不敬虔に基づいていましたが、神はそのような求めを御自分の目的のために用いられたのです。もしキリストを指し示すという目的がなければ、民の求めは恐らく実現されていなかったでしょう。サムエルはこの王を『見なさい。』と民に2度も言っています(13節)。神が民の求め通り王を立てて下さったのですから、民はその王をしっかり確認すべきだったのです。

【12:14】
『もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。』
 イスラエル人が王を求めたのは御心に適っていませんでした。しかし、王も民も神に服従するというのであれば話は別でした。何故なら、その場合、イスラエルに反逆は見られないからです。イスラエルが王を求めたことにおける問題点は、その求めが神への反逆に基づいていたからです。ですから、もし民が上も下も反逆しないというのであれば別に王がいても良かったのです。

【12:15】
『もし、あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手があなたがたの先祖たちに下ったように、あなたがたの上にも下る。』
 もし民が神に服従しなければ、民は先祖たちに下されたのと同様の裁きを神から受けます。その裁きとは敵から支配され苦しめられるという裁きです。イスラエル人はこの時、二者択一を迫られていました。神に服従して裁きを免れるか、神に反逆して裁きを受けるのか。どちらを選ぶべきだったかは明らかでした。

【12:16~18】
『今一度立って、主があなたがたの目の前で行なわれるこの大きなみわざを見なさい。今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。』
 サムエルは、民が王を求めたのは御心に適わなかったと宣告します。そしてサムエルが神に祈ると、神は『雷と雨とを下され』ることで御自分の御怒りを示されました。その時は『小麦の刈り入れ時』だったのに、急に雷と雨が起こりました。ですから民は本当に神が怒っておられると感じずにいられなかったでしょう。神が怒っておられるのでなければ、どうして急に天候が変わったりしたでしょうか。この時の雷と雨は非常に激しかったと思われます。何故なら、神は御自分の御怒りを示すためにこそ、雷と雨とを引き起こされたからです。もし弱々しい雷と雨でしかなければ、民は神の御怒りをよく感じられなかったもしれないのです。つまるところ、民は一体どうしていたらよかったのでしょうか。答え。民はそもそも王を求めるべきではありませんでした。彼らは神という王に治められることで満足しているべきだったのです。

【12:19】
『民はみな、サムエルに言った。「あなたのしもべどものために、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えたからです。」』
 民はこの時、神の御前で二重の罪を犯したと認めました。その二重の罪とは、一つ目が偶像に仕えるという罪であり、二つ目が神を退け人間の王を求めるという罪です。彼らは主の起こされた雷と雨とを見て、大いに恐れ戦きました。そして、神から自分たちが裁き殺されるのではないかと心配しました。このため民は自分たちが殺されないようサムエルに執り成しの祈りを頼みます。神の僕であるサムエルが祈るならば、神も聞き入れて下さるだろうと思ったからです。ところで、私たちが「ユダヤ人はどうしようもない罪深き民族であった。」と言っても、ユダヤ人に対する迫害や中傷とならないことを知っておくべきでしょう。何故なら、ユダヤ人がどうしようもない民だったということは、神が言っておられるのであり、神の人サムエルもそう言っているのであり、ユダヤ人自身もそれをはっきり認めていたからであり、今のユダヤ人も自分を欺くというのでなければそれを認めざるを得ないからです。

【12:20~25】
『サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行なった。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」』
 恐れて死にそうになっていたユダヤ人に対し、サムエルは『恐れてはならない。』と言って心配を取り除こうとします。神はユダヤ人が罪深いからというので彼らを捨て去らないからです。神は御自分の御名の栄光が損なわれることを望まれませんでした。もし神がユダヤ人をその罪深さゆえ捨て去られたとすれば、異邦人は神の御名を蔑みかねません(出エジプト記32:12)。そのようなことが起きてはなりません。だからこそ、神は『ご自分の偉大な御名のために』、ユダヤ人が極度に罪深いどうしようもない民だったのにもかかわらず、この民をあえて捨て去ることはなさらなかったのでした。もし神が御自分の御名の栄光を考慮されなかったとすれば、ユダヤ人が捨て去られていたことは間違いないと断言できます。

 このように神はユダヤ人を捨てられなかったのですから、ユダヤ人は『主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕え』なければなりませんでした。神がユダヤ人を捨てられなかったにもかかわらず、ユダヤ人がその神に仕えようとしないのは忘恩であり、あってはならないことだからです。ユダヤ人は幾度となく憐れみを受けた存在として、『主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えな』ければなりませんでした。サムエルも、ユダヤ人のため神に祈ることを決してやめません(23節)。またサムエルはユダヤ人に『よい正しい道を教え』ます。サムエルがこのように祈ったり教えたりするのは、ユダヤ人が神にしっかり従い仕えるべきだったからです。聖徒たちの敬虔な歩みのためには祈りと教育が重要な意味を持つのです。

 ユダヤ人はこれまでずっと神に背いてきましたが、これからも背き続けるというのでは駄目でした。もし今後もユダヤ人が神に背き続けるならば、神の裁きが待っています。つまり、自分たちの罪ゆえ滅ぼされてしまいます。残念ながら、ユダヤ人はこれからも神に背き続けました。ですから、歴史が示す通り、ユダヤ人は何度も裁きにより滅ぼされました。もっとも、ユダヤ人が滅ぼされた際には少数の生き残った者もいましたから、言葉の厳密な意味において全てのユダヤ人が滅ぼされるということではありませんでした。

【13:1】
『サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。』
 サウルが『三十歳』で王になったと言われているのは、推定による補足です。原文では年齢の数字が示されていません。『十二年間』というのも同様であり、これは補足による訳です。パウロはサウルが王だったのは『四十年間』(使徒の働き13章21節)だったと言っています。このようにサウルが王として立てられたのは全く神によりました。ですから、サウルが王だったのは全く正当でした。一方、あのアビメレクは神によらず王に立てられたので、王というよりは僭主と呼んだほうが相応しく、その支配者としての職務に正当性は全くありませんでした。

【13:2】
『サウルはイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地におり、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。』
 サウルは王になってから、『三千人』のユダヤ人を兵士として徴集しました。これは前に宣言されていた王の権利です(Ⅰサムエル記8:11~12)。この権利は神が承認しておられます。それゆえ、イスラエル人はサウルの徴集に抵抗できませんでした。この「3000」という数字に象徴的な意味はないはずです。この『三千人』のうち、『二千人』はサウルの指揮下に置かれ、『ミクマスとベテルの山地』に陣を敷いていました。残りの『千人』はサウルの子ヨナタンに委ねられ、ヨナタンと共に『ベニヤミンのギブア』で陣を敷いていました。これ以外の民は徴集されず帰宅させられました。まだ王が立てられる以前に、このような徴集はありませんでした。もちろん前にも徴集そのものはありましたが、それは戦争が終われば解散される一時的な徴集であって、法的・制度的な徴集ではありませんでした。しかし、サウルが行なったのは恒久的な徴集、すなわち国家における軍隊の結成でした。神はⅠサムエル8章の宣言で、「もし王が立てられれば民が兵士として徴集されるが、そのようになっても大丈夫なのか?」と民に問われたのでした。

【13:3~4】
『ヨナタンはゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。ペリシテ人はこれを聞いた。サウルは国中に角笛を吹きならし、「ヘブル人よ。聞け。」と言わせた。イスラエル人はみな、サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った、ということを聞いた。こうして民はギルガルのサウルのもとに集合した。』
 ヨナタンが『ペリシテ人の守備隊長を打ち殺した』ので、民は『イスラエルがペリシテ人の恨みを買った』ということを知りました。イスラエル人はただでさえ、つまり何もしていない状態においてさえ、ペリシテ人から嫌われ憎まれていました。ですから、このイスラエル人がペリシテ人の隊長を殺したとなれば、ペリシテ人がイスラエル人を恨むようになったのはごく自然なことでした。これは例えるならば、既に燃え上がっている火に木や油をたくさん放り込むようなものです。『ゲバ』はラマからすぐ北東の場所にあります。ヨナタンがペリシテ人の隊長を打ち殺したことにより、戦争の匂いがプンプンと漂ってきました。このためサウルは戦争に備えて民を兵士としてギルガルへ集めます。戦いが始まろうとしていました。イスラエル人とペリシテ人が和合することは不可能でした。それは日本と韓国がいつまで経ってもいがみ合っているのと似ています。