週報:【自殺について】(2021/01/10)


最近では女子プロレスラーの木村花や女優の竹内結子や俳優の三浦春馬が自殺したので大きなニュースとなりました。ここ日本では周知の通り自殺者が非常に多く、過去にも有名人で三島由紀夫や芥川龍之介や川端康成やXJAPANのhideなど自殺している人が多くいます。私の場合は自殺する気など塵ほども持っていませんが、この自殺の問題は無視されてはならない重要なことですから、今回は自殺について幾らか書きたいと思います。まず、聖書は自殺について何も語っていません。聖書には自殺を肯定したり禁止したりする明白な箇所がどこにもありません。これは昔から多くの人が言ってきたことです。それにもかかわらず、教会は今まで自殺が悪いことだと捉えてきました。「ユダヤ戦記」で記録されているヨセフスの自殺論に感化されたアウグスティヌスが自殺を悪として語って以降、1500年以上もの間、教会は自殺が悪であるという見解を持ち続けています。ですから、これまで教会に属するクリスチャンが自殺をしたなどという話はまったく聞かれたことがありませんでした。世の中の見解はどうなのでしょうか。私の見る限り、世の中では自殺を多かれ少なかれ悪いものとして捉える傾向を持っています。そうでなければ、自殺を防止するためのキャンペーンなどはどこの地域でも行なわれていなかったことでしょう。知性の高い哲学者たちの場合、そのほとんど全てが昔から自殺を容認する傾向を持っています。例えばスコットランドの高名な哲学者であるヒュームがその一人です。哲学者たちは、自殺は耐え難い苦しみや大きな悲しみを断ち切る手段として有効的であるので肯定したり、自殺が人々に迷惑をかけないために行なわれるのであればしばしば称賛したりします。さて、教会は自殺について実際どのような見解を持てばよいのでしょうか。先にも述べた通り、自殺を肯定したり批判したりするために聖書の言葉をダイレクトに持ち出すことはできません。私の意見では、やはり自殺は悪とすべきです。何故なら、創世記1章に書かれているように、人間は神の似姿としてこの地上に存在させられているからです。自殺は、人間が神の似姿として生きるという存在的な職務を放棄することですから、神の御心にかなっていないと私は考えます。これは例えるならば、ある俳優を映画製作のために起用したのにその俳優が撮影の仕事を拒絶したり、ある会社員が地方の支店に店長として遣わされたのに店長としての仕事を放棄するようなものです。それらが悪であるのは明らかですが、自殺もこのようなものと言えるのではないかと思うのです。いずれにせよ、一つだけ確実に言えることがあります。それは「何よりも自殺をしないのが無難である。」ということです。何故なら、もし自殺をしなければ、自殺をしたために死んでから自殺のことで神の御怒りと非難を受けるということは絶対に起こり得ないからです。