週報:【御子を知らずに死んだ人間について】(2021/01/17)


イエス様のことについて全く知らずに死んでしまった人は、一体どのようになるのでしょうか。パウロはこう言っています。「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。」(ローマ10:14)確かにキリストについて何も聞かされなかった人は、神が特別的に働きかけて下さるのでもない限り、キリストを信じることはできないでしょう。聖書は、イエス・キリストによらねば人は救われないと教えています。それは使徒行伝4:12で「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と書かれている通りです。それでは、どうなるのでしょうか。イエス・キリストを知らずに死んだ人は、どのようにしてもキリストを信じられなかったにもかかわらず、救われないで地獄に投げ込まれるのでしょうか。キリストのことを知らなかったのだから弁明の余地が認められる、ということにはならないのでしょうか。このことについて聖書は何と教えているのでしょうか。聖書は、キリストについて知らなかった人も、死ねば地獄に投げ込まれると教えています。何故なら、聖書によれば、御子イエスの尊い血により洗い清められない限り、人が救われることはできないからです。もしキリストを知らないで死んだ人も救われるということであれば、キリストを信じない限りは救われないという聖書の教えが否定されてしまいます。しかしながら、イエス様を知らずに地獄へ落ちた人は、確かなところ、もしこの人生の間にイエス様のことを聞かされていたとしても決して信じない人でした。ですから、その人がキリストについて聞かされたとしても結局は地獄に落ちていました。もしその人がキリストのことを聞いて信じる人であれば、その人には必ずキリストのことが聞かされていたでしょう。何故なら、その人はキリストのことを聞いて信じるように、永遠の昔から定められていたからです。また、これは生まれてすぐに死んだ幼児でも同じことが言えます。まだ意識を持つ前に死んだ幼児は、意識を持ってからも結局はキリスト信仰に入らなかったでしょうから、キリストのことを聞かされずに死んだとしても地獄に落とされます。それというのも、人間は母の胎の中で生じた時点で既に罪を持っているからです。これは原罪と言われるものです。ダビデが次のように言っていることから、それが分かります。「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」(詩篇51:5)