週報:【人間の目的と至福】(2021/02/14)


トマス・アクィナスは、人間の目的は神を直視することであり、神の直視は人間の最高の幸いであると言いました。これは間違っていません。何故なら、神以上の存在はないからです。プロテスタントの有名な信仰問答であるジュネーヴ信仰問答では、「人生の主な目的は何ですか。」(問1)という質問に対して、次のように答えられています。「神を知ることであります。」これも間違っていません。何故なら、人間とは神のために造られたからです。異教徒の中では最も宗教的であったプラトンも、人間の目的および最高の幸せは神との合一にあると言いました。異教徒がこんなことを言うのには驚かされますが、これも先と同様の理由により、間違ったことではありません。聖書は神にこそ人間の至福と意味があると知っていますので、神にこそ喜びを求めるべきだと教えています。詩篇37:4ではこう書かれています。「主をおのれの喜びとせよ。」パウロも、このことを知っていましたから、神のうちに自己の幸せを置いていました。彼はⅡコリント5:9でこう言っています。「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」確かに人間の幸いは神にこそあります。これは真理です。真理とは何よりも重視すべきもの、全てに優って求められるべきものです。ですから、この真理は多くの犠牲を払ったとしても絶対に知得されるべきものです。そして知得したならば、それを手放したりしてはなりません。ソロモンが次のように言っている通りです。「真理を買え。それを売ってはならない。」(箴言23:23)人が神にこそ歩み、その神を自己の幸いとするためには、主イエス・キリストを信じなければなりません。何故なら、キリストを通してでなければ、父なる神に私たちが達することはできないからです。ただこの御方を通してこそ、私たちは父なる神に至ることができます。それはキリスト御自身がこう言われた通りです。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)私たちは、この真理を人々が知得し、神にこそ生きることができるように、これからも主イエス・キリストの福音を宣べ伝えて行かねばなりません。というのも、キリスト信仰こそが、神への扉を開くからです。神も、私たちがそのようにし続けるのを望んでおられます。