週報:【神はサタンをも憐れまれるのか】(2021/02/21)


ある人たちは、サタンにも悔い改めの余地があると考えました。すなわち、サタンも悔い改めるならば救われるというのです。18世紀におけるプロテスタントの牧師たちが、このように考えてしまいました。しかも、プロテスタントの牙城と呼ばれたあのスイスにおけるジュネーヴの牧師たちが、このように考えてしまったのです。有名なフランスの哲学者であるヴォルテールがこのことを指摘し、大いに非難しています。これは非難されて当然です。ヴォルテールは教会の敵ですが、明らかにヴォルテールのほうが正しいことを考えていたからです。このような考えは全く誤っています。何故なら、聖書には、サタンが救われるなどとは書かれていないからです。そもそもサタンは悔い改めるということを絶対にしません。中国人もそうですが、尊大で倫理を弁えようとしない愚物は、態度を低くすれば敗北したも同然と考えてしまうので、絶対に悔い改めようとしないのです。私はこれまで中国人が謝っているのを見たことがありません。もしサタンが悔い改めるならば、もはやサタンはサタンでなくなってしまうでしょう。何故なら、サタンとは高慢そのものだからです。それは巨人が小人になれないのと同じです。もし巨人が小人になってしまえば、もはや巨人は巨人でなくなってしまうのです。サタンさえ救われるなどとある人たちが考えてしまったのは、何故なのでしょうか。それは、彼らが聖書に固く立たなかったからです。つまり、神が聖書に固く立とうとしない者を呪われ、誤った考えを持つようにされたのです。もし聖書に固く立っていれば、こんな考えは持ちたくても持てなかったでしょう。何故なら、その人が聖書にしっかりと従っており神もその人を豊かに守っていて下さるからです。サタンは人を誤らせようとして、こう囁きかけます。「神とは憐み深い御方ではないのか。」つまり、神は憐み深い御方なのでサタンさえもその憐れみの対象となるのではないか、というわけです。また彼は「神は愛ではなかったのか。」とも囁きかけます。つまり、神は愛だからサタンにさえも良くして下さるのではないのか、というわけです。「引き下がれ、サタン!」私たちはこう言って、サタンの囁きを撃退せねばなりません。何故なら、聖書には神がサタンを救われるとか、サタンにも悔い改めの余地があるなどとは塵ほども書かれていないからです。聖書が教えているのは、サタンが聖なる勢力の敵であるということ、またサタンにはただ呪いがあるのみということだけです。サタンに憐憫はありません。