週報:【東日本大震災について】(2021/03/14)


東日本大震災から10年が経過しました。あの衝撃的な大災害について、本日は3つのことを書きたいと思います。【1】先日は、多くの日本人が震災の起きた時刻に犠牲者を悼みました。天皇陛下は、追悼式のおことばの最後に「安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。」と述べられました。菅首相も、追悼式の式辞の最後に「御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げますとともに、」と述べました。陛下と首相以外の日本人でも、犠牲者の霊が安らかでいるようにと願った方は少なくないはずです。しかし、聖書によれば、犠牲者の霊は永遠の苦しみへと至りました。何故なら、キリストが言われたように「信じない者は罪に定められる」(マルコ16:16)からです。つまり、キリストとその救いを信じなかった犠牲者の霊は、永遠に罪に定められ、地獄で刑罰を受け続けるということです。ですから、聖書を信じる私たちクリスチャンは、間違っても犠牲者の霊が安らかでいられるようになどとは考えることさえ出来ません。そのように考えるのは聖書に反しているからです。ですから、犠牲者の霊について考えると、私は何とも言えない気持ちにさせられます。震災で命を失った上、地獄に投げ込まれたからです。彼らもキリストの尊い救いを信じていればよかったのですが…。【2】先日は、多くの日本人の方が犠牲者に祈りを捧げていました。人々が一緒に手を合わせている光景は非常に印象的です。これは、実証主義的な時代精神が世界に満ちている中にあって、宗教があまり得意でない日本人でさえ、宗教的な概念や目に見えない存在を蔑ろにしていないということです。何故なら、もし犠牲者たちの霊が死後も存在していると信じていなかったとすれば、どうしてあんなにも多くの日本人の方が犠牲者に祈りを捧げたのでしょうか。犠牲者の霊が死後も存在しているということを本当は信じていないのに、犠牲者に向かって追悼の祈りを捧げたのでしょうか。もしそうだとすれば、こんなにも馬鹿げた行為はありません。信じてもいない存在、つまり「無」に向かって何らかの行為をするのは、滑稽であり、ただのお芝居です。当然ながら、日本人が祈りを捧げたのは、本当に犠牲者たちの霊が死後も存在していると信じているからです。これは教会にとってはよいことです。何故なら、日本人が目に見えない存在を拒絶していないということは、教会で教えられている聖書の霊的な事柄を受容できる余地が大いにあるということだからです。【3】10年前の悲劇的な大災害は、イルミナティをはじめとしたサタンの率いる陰謀家たちにより引き起こされたはずです。陰謀家たちが立てた将来計画について予告されている有名なイルミナティカードの中では、3.11のことが描かれています。ある陰謀研究家によれば、あの大地震と津波は、海底に埋め込まれた核により引き起こされたということです。気象庁も、あの時の地震波は通常の場合と違っていたと言っています。3.11の津波について予告している漫画もあります。そのうえ、震災が起きたのは3月11日の14時46分ですが、「11」と「46」は陰謀家が事件を起こす際によく用いる数字です。これ以外にもあの震災が陰謀によったということを暗示する事柄が幾つもあります。ここまで3つのことを述べましたが、今でも被災地では多くの方が大変な思いをしておられます。憐れみ深い主なる神が、1日も早い回復を、あの地とそこに住む方々にもたらして下さるよう願うものです。