週報:【カトリックとの比較から見るプロテスタント】(2021/04/18)


プロテスタントとは、堕落していたカトリックから抜け出た宗教改革者たちにより形成されたキリスト教会の総体です。このプロテスタントには、改革派・長老派、ルター派、バプテスト派、会衆派、ペンテコステ派、セブンスデー・アドベンチスト派など、幾つもの教派が存在しています。これは例えるならば、日本の政党が自民党、立憲民主党、共産党、公明党など幾つもあるのと同じです。カトリックには、この地上世界に人間のリーダーがいます。それはあの教皇です。教皇は地上におけるキリストの代理であると誤って考えられており、そのためカトリック全体を支配する存在として今も働いています。要するに、本当は教会でない偽物の教会が、聖書が教えてもいない不正な職務を持つ者に支配されているのです。一方、真の教会であるプロテスタントには、地上世界に人間のリーダーはいません。陰謀研究で有名なジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏が、プロテスタントには人間のリーダーがどこにも見当たらないので非常に不思議がっていました。彼は「プロテスタントにもどこかにリーダーがいるに違いない。」と言っています。彼がどれだけ研究してもプロテスタントに地上の人間リーダーは見つけられません。何故なら、プロテスタントのリーダーは唯一であって、それは天上におられるイエス・キリストだからです。このプロテスタントが幾つもの教派に分かれていることについて、問題に思ったり心配されることが時折あります。何故なら、聖なる使徒に指導されていた初代教会には教派などといったものはなく、純粋に一つに纏まっていたからです。確かにパウロは当時の諸教会が心を一つに合わせるのを望んでいます。しかし、プロテスタントが一つに纏まっていないのは、実は神の知恵であり、恵みなのです。何故なら、プロテスタントがバラバラになっているからこそ、サタンに支配されることが難しくなるからです。カトリックはほとんど完全に纏まっていますから、その全体を統御する教皇さえ攻略できれば、カトリックの全てを掌握できることになります。実際、今の教皇は、サタンの勢力であるイルミナティの息のかかった人物です。現教皇のフランシスコは、イルミナティの上位者が受ける「痛みを受け入れる訓練」を受けていますから、間違いなくイルミナティの人間です。このイルミナティは、教皇を攻略したことにより、実際は教会でも何でもない似非教会であるカトリックを支配して喜んでいるかもしれませんが、これはつまりサタンが自分の勢力をコントロールして喜んでいるに過ぎませんから、私から見れば何ということもありません。カトリックは、ルターの時代から既にサタンのシナゴーグだったのですから。カルヴァンもカトリックは蛇つまりサタンの勢力であると理解していました。例えば大きな毒蜘蛛が小さな毒蜘蛛を支配している光景を見たとして、誰かそれを重大な出来事だと見做すでしょうか。神から救いと赦しの栄光を傲慢にも奪い取る行為義認の勢力が、真のキリスト教会であるはずはありません。プロテスタントの場合、たとえ幾つかの教派を支配できたとしても、まだまだ無数の教派がありますから、サタンにとって全体を支配することは非常に難しいことになります。このようにプロテスタントが無数に分かれているのは、実は良いことなのです。幾つもの教派があると分かりにくくなったり「なぜプロテスタントの教派は一致していないのか。」などと訝しく思われることになるのは確かです。ですが分かりにくかったり訝しく思われたほうが、全体が一つに纏まってサタンに支配されやすくなるよりは良いことです。実際、神はプロテスタントが形成されてからここまで500年の間、まだ一度もプロテスタントを一つに纏めてはおられません。それはカトリックのようにサタンから支配されるのを守るためなのです。ですから、プロテスタントはこれからも一つに纏まることがないでしょう。纏まらないことでサタンの働きかけを妨げる。これこそ神の知恵であり、プロテスタントに恵みが注がれている証拠です。もしプロテスタントが一体になっていたとすれば、今頃プロテスタントはどうなっていたか分かりません。その場合、サタンはトップの職務に全力で攻撃を仕掛けていたでしょうから、カトリックのようにイルミナティに汚染されていたかもしれません。