週報:【悔い改めと裁きについて】(2021/04/25)


人生において重要なのは悔い改めることです。何を悔い改めるのでしょうか。それは「罪」です。「罪」とは何なのでしょうか。Ⅰヨハネ3:4の箇所で言われているように「律法に逆らうこと」です。それでは誰に対して悔い改めたらよいのでしょうか。この全世界を創造された万物の神であられる御方です。しかし、どうして悔い改めなければいけないのでしょうか。それは、私たち人間とは神の前に服従すべき存在として創造されたからなのです。ある目的を持って造られた機械が作成者の目的通りに動くべきであるのと同様、神に従う被造物として造られた人間は作成者であられる神の前に従わねばならない義務を負っています。ではその罪を神の前で悔い改めなければ、私たちは一体どうなるのでしょうか。聖書は悔い改めて神に立ち帰らない人は地獄に投げ込まれると教えています。そして、そこで「永遠に昼も夜も苦しみを受ける」(黙示録20:10)ことになると聖書は言っています。この日本に住んでいる日本人の方々は、中国人とは違い、そのほとんどが有神論者であると感じられます。例えば、曲の歌詞なんかではよく「神さま、どうかお願いします。」などと普通に言われていますし、実に多くの日本人が神社やお寺に行って超越的な存在の前で合掌しています。日本人が無神論者であれば、このようではなかったはずです。また日本人の高い道徳性も、有神論的な精神がその背景にあると思われます。というのも道徳は神と大いに関わりがあるからです。中国人の多くは神という存在に疎く、ある皇帝などは神が自分の願いを聞いて下さらなかったというので神をおこがましくも罰したぐらいですから、その無神論的な精神のゆえ平気で悪を行ないます。表向きは慈善団体であることを表明しているフリーメイソンも、無神論者たちは入会することができません。日本人は確かに有神論なのですが、しかし真の神に対して悔い改めようとはしていません。これは日本人の多くが、自分のことを神の前において霊的な病人すなわち罪人だとは感じていないからです。つまり、自分が健常者だと感じているため、神という医者に霊的な救い・治癒を求めようとはしないのです。このことについてキリストはこう言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)もし日本人が自分について神の前で罪深い者であると感じていたならば、多くの人がイエス・キリストという罪からの救い主を求めていたことでしょう。しかし日本人は自分がどうしようもない罪人だなどとは感じていませんから、キリストという霊的な医者のもとに来て救われようなどとは願わないわけです。キリストは、せっかく福音が告げられたのにもかかわらず全く悔い改めようとしなかった町々を責められました(マタイ11:20~24)。パウロもユダヤ人たちがキリストを拒絶したので、厳しいことを言ってそのユダヤ人たちを見捨てました(使徒の働き18:5~6)。ルターもユダヤ人に福音を伝えましたが大いに反発されたので、それまではユダヤ人に好意的だったのですが、それ以降ユダヤ人を嫌うようになりました。私も日本人にこう言わなければいけないでしょう。「もしこのまま御子イエス・キリストを信じて悔い改めようとしないのであれば、報いとして神からの恐るべき災いが日本に下されたとしても文句は言えません。」今の日本人は「教会」という言葉を聞いただけで即座に拒否反応を起こすぐらいに、イエス・キリストとその救いから遠く離されています。つまり、神が「教会」という言葉を聞いただけで教会から距離を置いて遠ざかるようにするほどまで、日本人を聖書の真理から遠ざけておられるのです。せっかく神が私たちの罪のためにイエス・キリストを与えて下さったというのに、それを多くの人が信じようとしないのであれば、これから日本の未来はどうなってしまうのでしょうか。神は、裁きとしてイルミナティとフリーメイソンおよびそれ以外の陰謀集団が日本を徹底的に壊滅させるよう働きかけられるかもしれません。これから少しずつであっても日本の霊的な状況が良くなっていくのを願うばかりです。神が日本とそこにいる人々をイエス・キリストにおいて大いに憐れんで下さいますように。アーメン。