週報:【猫と鼠、氷と火、アラブ人とユダヤ人】(2021/07/18)


シオニズムにより不法侵入した多くのユダヤ人たちのせいで、今でもパレスチナの地には紛争が続いています。ユダヤ人が入植してからあの地では不幸と悲惨が一向に止みません。ロスチャイルドがバルフォアを通してバルフォア宣言などを出させなければ、また多くのユダヤ人たちがあの地に入り込んでいなければ、パレスチナにいるアラブ人たちには平和と安全があったことでしょう。あの地ではとんでもないことが日々起きています。日常生活の中でユダヤ人がアラブ人を殺し、アラブ人がユダヤ人を殺しています。政治的な攻撃が起これば復讐も起こり、その復讐に対して復讐が返されます。こういったわけで、今のパレスチナには災いが満ちています。正に神の裁きという炎が激しく燃え上がっているわけです。このような紛争を見て「ユダヤ人とアラブ人は何とかして仲良くできないのか?」と思われる人もいるはずです。ユダヤ人とアラブ人の中にも、少数ながら両民族の和合を願う人たちが存在しています。確かに彼らが仲良くできるのであれば、それが最高に良いのは言うまでもありません。しかし、ユダヤ人とアラブ人が仲良くするのは起こり得ません。何故なら、聖書ではアラブ人の始祖であるイシュマエルについてこう言われているからです。「彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:12)ここで「すべての兄弟」と言われている中にはユダヤ人も含まれています。何故なら、ユダヤ人とはイシュマエルの兄弟であるイサクの子孫だからです。つまり、イシュマエル人(=アラブ人)がユダヤ人と敵対するのは神の定められた運命なのです。であれば一体どうしてイシュマエルの子孫であるアラブ人が、兄弟イサクの子孫であるユダヤ人と和合できるのでしょうか。絶対にありえないことです。実際、今に至るまでこの2つの民族が和合したことは一度たりともありませんでした。ユダヤ人とアラブ人は、猫とネズミです。猫とネズミが絶対に仲良くできないように、ユダヤ人とアラブ人も絶対に仲良くできません。歴史を見ると、猫がネズミを虐めるかのように、アラブ人がユダヤ人を虐める傾向があることに気付かされます。例えば、中世の頃のアラブ人たちは、アラブ国家にいるユダヤ人たちについて「生かしてやってもらえるだけありがたいと思え。」と思っていました。ですからアラブ人がユダヤ人を殺してもそこまで悪いことだとはされませんでした。昔から今に至るまでアラブ人にとってユダヤ人は蔑みの対象でしかありません。それは兄であるイシュマエルが弟であるイサクを蔑んでいたからです(創世記21:9)。血の性質は、他の民族との混合により変質されない限り、絶対に変わりません。アラブ人もユダヤ人も、ほとんど他の民族と結婚しない傾向があります。ですから、イシュマエルの子孫であるアラブ人は、今でもイサクの子孫であるユダヤ人を蔑んでいるわけです。またユダヤ人とアラブ人は、氷と火に例えることができます。つまり、この2つの民族は仲良く共存できないということです。もしユダヤ人とアラブ人が問題なく歩めたとすれば、氷と火も共存することが出来るでしょう。両民族が一緒にいるならば、氷と火のようにどちらか一方が徐々に消失していかざるを得ません。しかしながら、このようにユダヤ人とアラブ人の敵対を運命として捉えるとパレスチナの紛争に事実上加担していることになるのではないか、と思われる方もいるかもしれません。何故なら、この2つの民族の敵対を運命とするならば、あの地域で紛争が起きていても仕方ないと諦めて傍観することになるからです。誰かが争い合っているのを運命として捉える人が、どうしてその争いを阻止しようとするでしょうか。その人は争いを運命と捉えているのですから、その争いを阻止しようとしても意味はないと考えることでしょう。私はあの地域での紛争に加担するつもりは一切ありません。しかし、その一方でユダヤ人とアラブ人の敵対は運命であることを認めないわけにもいきません。ですから私はこう言わねばなりません。すなわち、パレスチナの地域からユダヤ人は早急に退出すべきであると。このように言うならば、両民族の敵対を運命としつつもパレスチナの紛争に加担することにはならないからです。実際、ユダヤ人が不法侵入を認めて出ていけば最善の結果となり、ユダヤ人もアラブ人も紛争に悩まされなくなるでしょう。あそこにユダヤ人とアラブ人が住んでいる限り、問題は天地が引っくり返っても終わりません。ユダヤ人が、というよりはアシュケナージ系ユダヤであるハザール人が、あそこから身を引くべきです。アラブ人のほうが身を引くのは不自然でしょう。アラブ人はこれまで1300年以上もあそこにずっと住んでいるのですから。誰がどう考えてもおかしいのはユダヤ人のほうです。実際、これまでユダヤ人の中では「もしかしたら我々は不正なことをしているのではないのか。」と悩んで葛藤している人もいました。アラブ人にはこんな葛藤は全くありません。