週報:【この宇宙に注がれている神の力について】(2021/07/25)


イギリスにジョン・スチュアート・ミルという非常に有名な哲学者がいます(1806~1873)。この人は近代社会に大きな影響を与えており、最高の哲学者の一人であり、知性的にはアインシュタインと同等レベルの人です。また彼はクリスチャンではありませんでしたが、キリスト教に敵対してはおらず、それどころかキリストを「最高の天才」などと言ってクリスチャンでもほとんどしないぐらいに高く評価しています。この人が、「有神論」という小著の中で興味深いことを言っています。それは、「この宇宙世界は有限であるから宇宙を創造された神の力も有限であるに違いない。」ということです。確かにこの宇宙はどれだけ巨大だと言っても物理的に有限の大きさしか持たないでしょう。この宇宙がそれを内包する更に巨大な宇宙の中にある一つの細胞としての宇宙に過ぎなかったとしても(このようである可能性は誰によっても現段階では否定できません)、やはりこの宇宙とそれを入れている宇宙は有限の大きさしかありません。そのような有限な宇宙の中に注がれている神の力も当然ながら物理的に有限であるはずです。有限な宇宙全体に存在しているエネルギーが無限であるということはありえないからです。私はこれを認めます。しかし、だからといって神の力そのものが有限であるということにはなりません。神の力そのものは無限です。もし神が無限の力を持っておられなければ、それは神とは言えないでしょう。それにもかかわらず、神の力はこの宇宙においては有限の枠内に制限されています。これは神が有限の宇宙に合わせてその力を行使しておられるからなのです。しかし、だからといって神が有限の力しか持っていないということにはなりません。考えてみてください。もし神がこの宇宙に、全体的にであれ部分的にであれ御自身の無限の力を注がれたとすれば一体どうなるでしょうか?例えば、太陽に神が無限の力を注がれたとすれば、太陽は無限の核分裂反応をその内部で起こしますから、太陽は無限の熱と光度を持つことになります。そうすれば無限の力を持った太陽は、太陽系から始まって銀河系、次にアンドロメダ銀河、そしてそれよりも遠くにある銀河を、と順々に焼き尽くしていくでしょうから、やがて全宇宙が燃やし尽くされるでしょう。また神が地球に無限の力を注がれ、地球が無限に拡張することで御自身の無限力を示そうとされたら、どうなるでしょうか。そうしたら地球は無限の段階にまで、つまり永久に拡張し続けるでしょうから、この宇宙空間は地球という一つの惑星で一杯になってしまうでしょう。こんなことでは宇宙がどうして成り立つでしょうか。この場合、神の無限の力は明瞭に示されるかもしれませんが、神の英知と秩序の性質は全く示されなくなります。人間で言えば腕だけの状態です。もし神がこのようにされたとすれば非常に愚かだということになります。ですから、神はあえて無限の力をこの宇宙に置かれはせず、御自身の力を制限的に行使しておられるのです。ミルは、この宇宙だけを見て神の力を推論するという誤りを犯しています。彼は神御自身を神御自身として考えていません。神をこの宇宙抜きに単体として考察したらどうでしょうか。つまり、神はこの宇宙を創造される以前、その力においてどのようであったのでしょうか。このように考えると神が有限の力しか持っていないとは言えないはずです。この宇宙だけを見て神が有限の力しか持っていないと考えるのは、ある人が10冊の本を生涯に書いたということからその人がその10冊の中で書かれている量の知識しか持っていなかったと考えるのと一緒です。言うまでもなく、その人は10冊の中で書いた知識よりも多くの知識を持っていたはずです。その10冊の中で全ての知識を徹底的に書き尽くしたというのでもなければ、確かにそうです。しかし、普通に考えれば、その人が10冊の本で示した知識はあくまでも全知識のうち数%か数十%であるはずです。これと同様、神もその超越的な無限の力を、この宇宙という書物の中で徹底的に示しておられるわけではありません。もし有限な世界に無限の力が置かれたら世界は間違いなくはち切れてしまうでしょう。神はそんな無思慮なことをなさいません。