週報:【ユダヤ人の入植地拡大と今後の行方】(2021/08/08)


現代のユダヤ人がパレスチナの地で行なっている入植活動は、あまりにも酷いと言わざるを得ません。これは入植というよりは不法な侵略です。ですから国連はユダヤの入植地拡大を何度も非難しています。日本の外務省もこれまで幾度となく遺憾の意を表明してきました。更に親イスラエルであるトランプでさえ大統領だった時、イスラエルの首相ネタニヤフに対して「入植は少し控えてほしい。」と言ったぐらいです。ユダヤ人が入植を正当化しアラブ人を沢山殺すものですから、ユダヤをヒトラーに例えるアラブ国家の首領もいるぐらいです。しかし、このように侵略の悪を批判されると、ユダヤ人は「迫害だ」「差別だ」「偏見を持っている」「反イスラエルだ」などと言って、批判者に反論します。悪を批判している者が逆に悪者扱いされてしまうのです。これではもうどうしようもありません。ユダヤ人がしているアラブへの侵略の一つとして次のようなものがあります。まずユダヤ人がアラブ人の所有している農地に勝手に火を放ちます。火で農地が焼かれると、ユダヤ人がその農地を耕して、自分の物にしてしまいます。すると当然ながら怒ったアラブ人がやって来て、農地を奪ったユダヤ人と争いが起こります(悪いのはどう考えてもユダヤ人です)。そして争いが起こると、イスラエルの軍隊がやって来て、アラブ人を負傷させたり追い払ったりします。アラブ人が土地を奪われたことについてイスラエルの法廷に訴えても、ほとんど勝訴することは出来ませんから、泣き寝入りせざるを得なくさせられます。土地を奪われて憤ったアラブ人たちが反発したり暴動を起こしたりすると、またもやイスラエルの軍隊がアラブ人を鎮圧するので、アラブ人が負傷したり殺されたりします。もちろんユダヤはその土地の評価額における1.25倍の価格をアラブ人に支払うのですが、それでもこれは強引に奪い取ることに他なりません。これ以外にも、ユダヤ人はアラブ人の建築物を何度も勝手に取り壊しており、日本がアラブに援助したお金で建設された建築物も取り壊しています(日本はこの件について沈黙しています)。こうしてユダヤ人たちは国際的な非難を受けつつも、自分たちの領地をパレスチナに広げているのです。このようにユダヤ人たちには非難されるべき正当な理由が存在しています。イスラエルの暴虐を知って辟易しない人はいないはずです。もちろん、アラブ人のテロ行為にも辟易させられるのではありますが。パレスチナの事情を知らない人から見れば、ユダヤを非難しているのは迫害だと思えることもあるかもしれません。「あの人はユダヤ人を批判しているからちょっと危険だぞ…。」などと。無知な人が無知であるために知識のある人たちを誤解してしまっているのです。何ということでしょうか。古代ローマ人が述べたように「無知は罪」であると言わねばなりません!このように誤解している人も、よく調べればユダヤに対する非難が不当でないことに気付くでしょうに。さて、ユダヤ人にとって、このような入植活動の根拠となっているのは「帰郷権」です。すなわち、創世記で神がアブラハムとイサクとヤコブとその子孫たちに今のパレスチナの地を与えられたので、ユダヤ人はパレスチナの地に住む当然の権利があると考えているのです。それゆえユダヤ人は前から1500年もずっとそこにいたアラブ人を強制的に排除しようとしているわけです。ところが、ユダヤ人のこの考え方は浅はかであり、突っ込みどころが満載です。私から見ればこれは「片腹痛い」ことです。この帰郷権に基づくユダヤ人の入植活動には、次のような指摘をすることができます。まず第一に、確かにパレスチナの地はヤコブの子らに与えられると聖書に書かれていますが、今のイスラエルに住んでいるユダヤ人たちの多くはヤコブの子らではなくハザール人の子らです。本当のユダヤ人であるヤコブの子らは、その多くがアラブ人に対する侵略行為を否定的に見ています。第二に、パレスチナは契約の地ですが、今のユダヤ人たちは契約の主であるイエス・キリストを退けて否んでいます。契約の主を拒んでいるのに、どうして契約の地を主から頂くことが出来るのでしょうか。第三に、今はカナン侵攻の時代とは違い、パレスチナの地とそこにいる民族を侵略せよなどという命令が神から全く発されていません。ですから、ユダヤ人たちは紀元70年にパレスチナから追い出されて約1900年もの間、パレスチナに他の民族が住んでいてもそこを侵略しようとはしなかったのです。もし侵略せよという神の命令が出ていたならば、もうとっくの昔にユダヤ人たちは無我夢中でパレスチナを奪い取ろうとしていたでしょう。第四に、もしユダヤ人が完全にパレスチナを獲得したとすれば、遅かれ早かれエゼキエル書に基づいて第三神殿を建設するでしょうが、これは全宇宙が滅んでも起こり得ないことです。今や真の神殿はキリストおよび聖徒なのですから(ヨハネ2:21、Ⅰコリント3:16~17)、もし神がエルサレム神殿の再建を許されたならば神はキリストと聖徒という神殿を自ら否認されることになりますが、それは全く有り得ないことなのです。今でも諸国家はパレスチナでユダヤ人とアラブ人が平和のうちに解決を求めるよう願っていますが、この願いは良心的であるものの、聖書を知らない無知に基づいています。ですから私からすればこれは不可能を願うことです。何故なら、聖書によれば神の定めはアラブ人とユダヤ人が敵対し合うことだからです(創世記16:12)。両者の不和は神が決定された揺るがし得ない運命なのですから、両者が一緒にいる限り、平和の解決は絶対に起こりません。これからユダヤに起こるシナリオは次の3つのうちどれかです。①:このままずっとパレスチナでアラブ人と敵対し続ける。②:ユダヤ人たちが観念して自主的にパレスチナから出て行く。③:ユダヤ人たちの咎が満ちると、神の裁きにより国連かどこかの国に反ユダヤであるヒトラーまたネブカデネザル王のようなリーダーが起こされ、高まる国際的なユダヤ批判の風潮にあって、強制的にユダヤ人たちがパレスチナから排除されてしまう。①が実現し続ける可能性はかなり高いと思われます。②は可能性としては0.001%ぐらいだと私には思えます。聖書が教えている通り、神は人がした通りにその人にもなさる報いの神であられますから、これまでずっとユダヤ人がアラブ人を虐げていることを考慮すれば、これからやがてユダヤ人もアラブ人にしたようにされる可能性、つまり③のシナリオが起こる可能性はかなり高いでしょう。ユダヤ人はこれまで幾度となく虐殺され追い散らされてきたのですから、再びそのようなことが起こったとしても不思議ではありません。つまり、③のシナリオには過去の歴史からも実現性の裏付けが取れるわけです。もちろん、私はそのような悲惨な出来事が起きてほしいなどとは少しも思っていないのであって、単にこれから起こり得るシナリオを理性的に考察しているだけに過ぎません。一番良いのはやはり平和に共存することですが、前にも述べた通り、彼らは「猫と鼠」また「氷と火」ですから、そのようになるのは夢のまた夢です。