週報:【聖書の古さについて】(2021/09/05)


教会の中では一般的に「聖書が世界中で最も古い書物である。」と言われてきました。私から見ると、これは理性的な考察を経た上で結論された理解とは思われません。実際はどうなのでしょうか?「聖書が最も古い書物である。」という考えを信じることが救いの要件ではありませんから、別にこれについて理性的に考察したとしても問題はありません。まず新約聖書と旧訳聖書で古いほうは「旧約」です。その旧約聖書の中で最も古く書かれたのは間違いなく創世記でしょう。創世記は、話の繋がり具合から考えれば、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と筆記者が一緒だと思われます。これまで教会も、この5つの文書がモーセの手で記されたと考えてきました。これがモーセの手によるかどうかはともかく、1人の著者により記されたと考えている点では間違っていないはずです。とすれば、これら5書が書かれたのは出エジプトが起きた紀元前14世紀以降だということになります。何故なら、その中ではユダヤ人がエジプトを脱出した出来事について記されているからです。まだ出エジプトが起きていないのに、それを実際に起きた過去の出来事として記すことはできないはずです。既に起きたからこそ、過去の出来事として記せます。ですから、聖書は最も早くて前14世紀に書き始められたことになります。いわゆる「モーセ5書」が聖書の中で最も古いとするならば、聖書の筆記年代を前14世紀以前に設定することはできません。それでは、この聖書が一番古く書かれた書物なのでしょうか。前14世紀よりも前に記された文書は何かないのでしょうか。「ギルガメシュ叙事詩」という古代メソポタミアの有名な古文書は、一般的に前18世紀よりも前に記されたとされています。私はこの文書を2回ほど読みましたが、非常に古い原始的な印象が感じられました。だとすれば、聖書よりもギルガメシュ叙事詩のほうが古いことになります。何故なら、聖書の中で一番最初に書かれた創世記が前18世紀よりも前に書かれたと考えるのは不可能だからです。前18世紀頃に創世記の中心的な人物の一人であるアブラハムが生まれたのです。しかし、聖書が最も古く書かれた書物でなかったとしても、何も問題は生じません。聖書が最も古く書かれたのでなければいけない理由はありません。もし聖書が最も古くなければいけないとすれば、人類の救い主であられるキリストも一番最初に生まれなければいけなかったことになりましょう。しかし、主が御生まれになったのはアダムから4000年後のことです。また聖書が筆記年代であれその他の要素であれ何でも最も卓越していなければいけないとすれば、聖書の文体も世界中の本の中で最も卓越していなければいけないことになります。ところが、聖書の多くの巻では、それほど凝っていない平易な文体が使われています。このため、まだ信仰を持っていなかった頃のアウグスティヌスは、簡単な文章が多い聖書に躓いてしまったのです。この聖書は、最も古く書かれた文書でなかったとしても、信じるに値する文書です。まだ聖書が書かれておらず、これから書かれるとしても、聖書は信じるに値します。何故なら、そこには神の真理が書き記されているからです。最も古く書かれていないからというので、そこに書かれている真理が真理でなくなってしまうのでしょうか。とんでもないことです。真理はいつ書かれたとしても真理です。というのも、自身以外の事柄や要素に振り回されないのが真理の性質だからです。真理は、それ自体において自立しており完全なのです。