週報:【魂の不正利用に与えられる断罪】(2021/09/12)


例えば、レンタル店から借りられた着物か車が、酷く損傷されて返却されたならばどうなるでしょうか。それを借りた人は弁償しなければいけないはずです。場合によっては警察沙汰にもなりかねません。それは、それを借りた人がレンタル品を損ねたからです。借りた人は、借りた物を正しく取り扱う義務があります。私たちの魂もこれと同じです。私たちの自我つまり意識を脳という座において生じさせている魂は、神から与えられた賜物です。これは伝道者の書12:7の箇所から分かります。『霊はこれを下さった神に帰る。』ここで言われている『霊』とは魂のことです。聖書が教える通り、この魂はやがてそれを下さった神のもとに帰ります。その時、私たちは神から裁きを受けることになるのです。その時にはこの人生で行なったことについて報告がされます。『こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。』(ローマ14:12)とパウロが言っている通りです。人が神の御前に帰った際、その魂に罪過があれば、私たちは神に賠償金を支払わねばなりません。その賠償金とは、地獄における永遠の断罪です。これは着物や車をレンタルして汚した人が、レンタル店に賠償金を支払うのと同じです。私たちが神から貰い受けたこの魂は、神の自我を鏡のように映し出しています。すなわち、神が自我を持っているように、私たちにも自我が与えられたのです。その無限性や時間性に違いはあるものの、自我を持っているという点で、神と私たちは変わりません。このため聖書は、私たち人間が神の似姿だと教えているのです。人間が神のために生きないのは、魂を罪で汚すことに他なりません。ですから、今の世界に生きる全人類の魂は罪で汚れています。全ての人が神に従えていないからです。このため、魂が神に帰った時、神はその魂が断罪されることを要求されるのです。私たちの持つこの魂が清められていない限り、神の断罪は避けられません。もし魂が清められていれば、その人は神の断罪を免れます。私たちの魂が罪から清められるのは、ただイエス・キリストを信じることによります。何故なら、キリストは私たちの罪を清めるため十字架で身代わりとなられたからです。このためキリストを信じる者には、罪の赦しが与えられます。『この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる』(使徒行伝10:43)と聖書に書いてある通りです。このようになることにより、私たちはレンタル店で着物や車を正しく返す人のようになります。損なわれていないレンタル品を返却された店は、その借りた人を「問題あり」としないでしょう。同様に、魂の清めをキリストを信じる信仰により受けた人も、やがて神のもとに帰った際には、神から「問題あり」とされません。しかし、罪の清めを受けていない人は、神から「この者は大いに問題がある。」と言われてしまうでしょう。