週報:【国籍や民族を超越しているキリストの救い】(2021/10/10)


「キリスト教は日本人に合わないのではないか。」このように思われる方がいるかもしれません。何故なら、キリスト教は白人の宗教であると感じられるからです。確かにこのように思う人がいたとしても、不思議ではないかもしれません。何故なら、ここ日本ではキリスト教があまり盛んではないからです。しかし、ちょっと待って下さい。そもそもキリスト教は白人の宗教ではありません。キリストの御名による救いが「エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(ルカ24:47)と聖書で言われている通り、教会はエルサレムから始まりました。またキリスト、使徒、預言者、(ルカを除く)聖書の記者たちはユダヤ人です。白人たちはキリスト教の発生に全く関わっていません。それどころか白人は最初、キリスト教を迫害していました。例えばネロはキリスト教徒にローマ大火の罪をなすりつけて大量虐殺しましたし、古代キリスト教徒は白人たちにより闘技場で猛獣の餌にされ見せしめとなっていました。ローマでキリスト教が受容されたのは紀元4世紀になってからであり、それからヨーロッパ全土にキリスト教が満ちるまで1000年かかりました。ヤペテ族である白人たちはセム族であるユダヤ人の宗教であるキリスト教という天幕の中で住んでいるに過ぎません(創世記9:26~27)。ですから、よく考えると、キリスト教は白人ではなくユダヤ人の宗教であり、またその発生地もヨーロッパではなく今のパレスチナであることが分かります。「しかし、やはりキリスト教は日本人には合わないだろう。」と思われるでしょうか。「日本人には」合わないと考えるのは間違っています。というのも聖書の真理は全宇宙の創造者であられる神から出ているのであって、その真理は無国籍だからです。聖書に書かれている真理は色のない声で万国の民族に語りかけています。真理はその性質からして絶対的また普遍的ですから、日本人だから合わないというのはありえません。国籍を超越するのが真理だからです。日本であまりキリスト教が受け入れられていないのは、単に日本では救われるように選ばれている人が少ないだけです。「しかし、日本人にキリスト教は高過ぎるのではないか。」と思われる方もいるかもしれません。聖書の真理が高いのは、何も日本人に対してだけではありません。それは白人に対しても高いものです。何故なら、聖書の真理はそれ以上高い存在のいない神から出ているからです。神から出た真理を高いと感じないような民族などいるはずがありません。キリスト教が高いからといってキリスト教に近付こうとしないのは、大変残念なことです。そのようにして近付かないので真理を得ることがどうしても出来なくなるからです。これは例えるならば超大金持ちが貧しい人たちのため高い場所に大きなダイヤモンドを置いておくようなものです。貧しい人たちは、そのダイヤモンドをただ見上げるばかりで、見ようとも自分の物にしようともしません。それを取って自分の物にしようとすれば、超大金持ちは気前よくそれを与えてくれるのですが。聖書に書かれているイエス・キリストの救いという尊い真理は、私たち日本人をも対象としています。何故ならキリストは日本民族を救うためにも十字架で死なれたからです。是非このキリストのもとに来て下さい。そうすればキリストを信じる信仰により神から義と認められ、救われます。イエス・キリストの救いを受けることに国籍や民族や貴賤は関係ありません。「それはすべての信じる人に与えられ何の差別もありません。」(ローマ3:22)と聖書にある通りです。神は日本人が救われるのも望んでおられます。