週報:【未来を切り開かせる好奇心と期待と信仰】(2021/10/17)


どうしてこの宇宙のことだけしか考えないのでしょうか。この宇宙を1mmぐらいの泡粒でもあるかのように内包する更なる上の宇宙について思考しないのでしょうか。更に、この宇宙を「粒」として持っている宇宙を包み込んでいる宇宙のことを考察しないのでしょうか。その宇宙をも包んでいる更に大きな宇宙は?現代の理解水準では、まだこの宇宙を越えた宇宙があるかどうかについては推測の域を出ません。今はまだこの宇宙さえ分からないことだらけの時代です。そればかりか私たちはこの地球さえどういう構造になっているのかまだ知りません。であれば、宇宙の多層性については尚のこと分からないはずです。しかし、それについて考えないのは、多くの人がそうなのですが、思考の訓練により発想力を豊かにさせていない証左でしょう。この多層宇宙論について聖書は何も示していません。天動説と地動説もそうですが、神はこういった宇宙の事柄を科学の領域で追及するように定めておられます。ですから、これから科学の進展と共に、宇宙の多層性が明らかになる可能性は十分にあります。宇宙はこの宇宙だけでなく何層も存在しているというこの考えを私がもっともらしく思うのは、もしそうだとすれば神の無限性がよく表わされることになるからです。私たちは、この宇宙が神の無限性を鏡のように示すため創造されたことを理解すべきです。私たちのこの宇宙は1350億光年の広さを持つと言われています。その宇宙を砂粒のように内包している第二宇宙、その第二宇宙を砂粒のように内包している第三宇宙、また第四宇宙やそれ以上の階層を持つ宇宙があるとすれば、本当に気が遠くなるような話です。何故なら、そのような多層宇宙の巨大さを私たちは決して把握できないからです。私たちはこの宇宙すなわち第一宇宙の広さでさえ把握できないぐらいなのです。しかし、神の無限性は、一つの宇宙しかないより何層もあったほうが、より良く象徴されることになるのは明らかです。宇宙の階層が多ければ多いほど、それだけ宇宙の広大さを通して、神の無限性がより忠実に象徴されることになるのは間違いありません。ですから、宇宙に階層があるとすれば、それは神の創造目的によく合致しているのです。もっとも、たとえ宇宙の階層が1000兆あったとしても、その宇宙が有限である限り、神の無限性を完全にそのまま象徴させることはできません。何故なら、無限の前で有限はどれだけ大きくとも常に無同然のサイズしか持ち得ないからです。このように私たちはまだ自分たちの住むこの宇宙がどうなっているのか分かりません。これから宇宙の多層性が発見される可能性は十分にあります。こういったことを考えていれば、何か手掛かりを掴めたり、重大な発見をすることにも繋がるかもしれません。アインシュタインも小さい頃、自分が光に乗っている姿を想像していましたが、こういった夢想が相対性理論の発想に結びついたのです。それと同じで、私たちはまだこの日本の人々が未来にどうなるのか分かりません。神がこれから日本に真のキリスト者を満たして下さる可能性も十分にあります。天皇家も神道から離れてキリストに帰依しないとは誰も確言できないでしょう。そうしたら多くの日本人が天皇に倣ってキリスト者になる可能性だってあるわけです。科学の領域でも言われていますが、重要なのは未来を切り開かせる好奇心と期待と信仰です。失望は全てを台無しにしてしまうばかりでなく、その人が本来的に持っている力を全く失わせてしまいます。そういうわけですから、私たちは希望と忍耐を強く持ち、これからも日本に御国が前進拡大するよう熱意猛進していかねばならないのです。