週報:【天皇制の存続について】(2021/11/21)


私は天皇や天皇一家に敵意や憎しみを持っていません。また、共産主義者のように天皇制が廃止されればよいと望んでいるわけでもありません。しかしながら、感情や個人的な考えを排除し、聖書から理性的に考察するのであれば、天皇制は現代において危機的な状況にあると言わざるを得ません。つまり、存続するかしないかの岐路に立っているということです。それは、天皇が偶像崇拝の罪を犯しているからです。天皇は、日本国民の幸いを八百万の神々に敬虔な心で祈り求めておられます。これは人間的に考えれば素晴らしいことだと思う方々も多いかもしれませんが、神の御前ではれっきとした罪です。何故なら、神はこう言っておられるからです。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20:3)ですから、天皇は神道において偽りの神々を祀っていることで、裁きの対象となる行ないをしておられることになります。もし天皇が祈りを全宇宙の創造者であられる本当の神に捧げていたとすれば問題なかったのですが、そうではないのです。ですから、天皇家には神からの裁きが下されていると思われます。ただその裁きは非常に穏やかであり、天皇や天皇一家の方々が持つ文化的な道徳性に相応しい裁きとなっています。神は人の態度や性格に応じて事を為される御方だからです。例えば、天皇家は現在、女性の方が非常に多く、男子はほとんど生まれていません。もし神が天皇家を祝福しておられるとすれば、もっと多くの男子が生まれていたはずです。また、今上天皇は国民に寄り添う公務のあり方を模索しておられますが、これは天皇制が廃止される予兆である可能性もないわけではありません。何故ならば、天皇が一般民衆と同化したとすれば、最終的に天皇と一般民衆の区別が無くなることとなるからです。歴史を見ても、国民の中に入って行った支配者や権威者が良い効果を生じさせた例はあまりありません。例えばネロは国民の中に入って国民と同化せんばかりでした。ルイ14世のように高く振る舞っているほうが、かえって権威者としては良い効果を齎すと言えます。また、1869年から皇室の紋が公式的に「十六八重表菊」となりましたが、これは「目」と一緒のマークです。ですから、皇室も既にイルミナティやフリーメイソンに侵食されている可能性があり、もしそうだとすれば天皇制は大いなる危機のうちにあることになります。天皇家が確実に存続するためには、天皇家がキリスト教のプロテスタントに鞍替えすることです。そうすれば正しい道に歩むことができ、偶像崇拝の罪からも離れられるので裁きが回避できるからです。しかし、皇室の方々における地位、名誉、学識、財産を考えるならば、天皇家がキリスト教に入るということは難しいと言わねばなりません。何故なら、金持ちが救われることは非常に難しく(ルカ18:24~25)、神は知恵ある者や卓越した者を恥ずかしめるために愚かな者や未熟な者を救われるからです(Ⅰコリント1:27~29)。では、天皇家が救われないままで、裁きの対象となる偶像崇拝の罪に歩み続けている状態を黙って見ていればよいのでしょうか?そんなことはあってはなりません。私たちは天皇家も救われて神道の偶像崇拝から離れて幸いになることを祈り求めるべきなのです。パウロがⅠテモテ2:1~4の箇所で命じている通りです。そこでは、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と書かれているのです。天皇家に救いが与えられたならば、どれだけ幸いでしょうか。