週報:【日本での伝道について】(2021/12/05)


「日本のキリスト教人口はいつまで経っても1%以下のままである。」この言葉は牧師たちにとって諺のようになっています。これは、日本の救霊状況における事実を直視しているという点では間違っていません。しかし、このように言うだけで、ずっとそのままにしているのであれば、日本のキリスト教人口はいつまで経っても1%以下のままでしょう。この事実を直視したならば、教会の側に何か理由がないのか考えるべきだと思えます。教会は、日本人の民族性や文化などに救われない理由を求めがちです。しかし、教会の側にも理由を求めなければ、何か私たちに問題や至らない点があったとしても気付けないままとなります。私が前々から感じているのは、日本ではあまり伝道が熱心に行なわれていないということです。例えばトラクト。トラクトを配布すれば、捨てられて地面に放置されたりポストに入ったままだったりするなど必ず配布した形跡が残ります。私は静岡市のそこら中で配布していますが、他の教会が配布した形跡は稀にしか見られず、見られるのと言えば私が配布した形跡ばかりです。三島市にいた時もそうでした。つまり、日本の教会はそこまでトラクトを配布していないのかもしれません。新聞の折り込みでも、教会のトラクトは数か月に1回入っているかどうか、というぐらいです。たまに他の教会のトラクトを見かけると、御言葉が一つも書かれていないということさえあります。訪問伝道にしても、あのエホバの証人たちに比べれば、プロテスタントはほとんどしていないと思われます。「エホバたちに比べて我々プロテスタントは…」などと危機感を感じている牧師もいました。このような状況を変え、全ての教会がもっと熱く伝道するのであれば、神が私たちの努力を御覧になり、多くの人を恵みによりキリストへと導いて下さるかもしれません。絶対にそのようなことにはならない、とどうして言えるでしょうか。日本がツロやシドンまたカペナウムのような国であるかどうかは、まだ分かりません。もしかしたら、これから日本にも信仰が大いに広まることが定められているかもしれません。いずれにせよ、とにもかくにも日本人の方々には、キリストの福音が大いに宣べ伝えられねばなりません。何故なら、『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』(ローマ10章17節)のだからです。もし多くの人たちにキリストの救いが知らされたならば、そのうち幾人かでも信仰に興味を持つ人が出ないとは誰にも言えません。キリストを知らなければキリストを信じることもできないでしょう。ですから、いかにキリストが宣べ伝えられるかということが重要です。また、幸いにも日本人は神を否定しない民族です。ですから、無神論との格闘に疲労困憊させられるということはないと思われます。問題なのは日本人が神のことを正しく知らないということです。この日本人の誤った有神論をどのようにして聖書の有神論に導くかということも重要です。