週報:【キリストの救いと信仰について】(2021/12/12)


聖書はこう言っています。『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。』(Ⅰテモテ1章15節)このキリストにこそ救いがあります。罪人の救いはキリスト以外に一切ありません。それは何故でしょうか。父なる神がこのキリストを救われるための御方として定められたからです。もしこのキリストを信じなければ、罪から救われないのですから、永遠に罪人として裁かれてしまいます。キリストが言われた通り、『信じない者は罪に定められ』(マルコ16章16節)るからです。せっかく父なる神が私たちの罪のためにキリストを遣わし、十字架の死にまでも進ませて下さったというのに、キリストの救いを信じない。これではどうして救われて天国に入れるでしょうか。もし信じたならば罪の赦しを受けて救われるのです。ですから、信じないので裁かれたとしても自業自得だということになります。それでは、キリストとその救いを全く聞くことなしに死に、それから地獄に投げ込まれた人はどうなのでしょうか。その人も、やはり地獄で神から刑罰を受けていることについて文句を言えません。何故なら、その人はたとえこの地上の生涯でキリストとその救いを聞いていたとしても、決して信じなかっただろうからです。もしその人が信じる人として永遠の昔から定められていたのであれば、必ずキリストについて知らされ、キリストを信じていたでしょう。ザビエルが訪れる16世紀以前にキリストを知らないままで死んだ全ての日本人たちも同様です。彼らは全てキリストを信じて救われるように定められていませんでしたから、キリストを知らないままで死に地獄へ行きました。16世紀以降には日本にも定められた人が生まれていたので、ザビエルが遣わされ、やっとキリストが伝道されることになったのです。たとえキリストを知らずに地獄へ行ったとしても、人には神に逆らう根本的な悪しき性質である「原罪」がありますから、地獄に行ったとしても文句を言えません。結局のところキリストを信じないような人、しかも心において神に反逆する傾向を持った罪人が、地獄に行ったとしても何がおかしいでしょうか。「しかし、多くの人を地獄に投げ込む神が私にはどうも気に入らない。」などと言うでしょうか。このように言う人は、神を憎み嫌っています。つまり、神を憎み嫌っているからこそ、このように言って神への不満をぶちまけるのです。このような人を神は天国に入れられるでしょうか。有り得ない話です。神はこのような人にこう反論されるでしょう。「私に不満を述べるこの者はいったい何なのか。神を憎む者が天国に行けるだろうか。あなた自身も自分を憎む者は受け入れようとしないのではないか。」