週報:【【倒錯】】(2021/12/19)


(1)人間は、人間の造った知的製作品を見て、作成者および作成者の知性にまで思いを及ぼします。「これは一体誰が造ったのだろうか、またその人はどれだけ高い知性を持っているのだろうか。」などと。ところが、人間の知的製作品を遥かに超えているこの宇宙という最大最高の知的製作品になると、作成者および作成者の知性に思いを及ぼせなくなります。キケロは『神々の本性について』という有名な本の中で、宇宙を再現した精密な模型の作成者は認めるのにその模型の原型である宇宙を造った作成者については考えようとしない人間の愚かさを指摘していますが、これは実に正しい指摘です。人間の理性は実に矮小なので、小さい事柄についてはよく考えられても、大きい事柄についてはその働きが停止してしまうのです。これは仕方ないと言える面はあるものの、だからといって倒錯していることには変わりません。(2)人間の多くは、神とその性質が自分の気に入らないと、神を嫌い、認めず、神から離れてしまいます。つまり自分の気に入る神でなければ神でないわけです。これは人間が自分こそを神としているからに他なりません。人間は、「あなたがたは神のようになれる」(創世記3章5節)という悪魔の邪悪な誘惑に陥り堕落し反逆者となって以降、自分自身を神とするようになりました。このため、人間の脳内において神は人間よりも下に位置づけられています。これは何という愚かしい倒錯でしょうか。人間は神のために造られたのですから、人間のほうが神に気に入られるようにしなければいけないというのに。(3)今の聖徒たちは、再臨はもう起きていると聖書から明白に示されても、その考えを受け入れようとしません。キリストは、御自身の目の前に立っている人が生きている間に再臨は起こると言われたのです(マタイ16:28)。そのキリストの御言葉に基づき、パウロも自分と共にいる当時の聖徒たちが生きている間に再臨は起こると言ったのです(Ⅰテサロニケ4:15)。またⅡテサロニケ2章の中で、再臨のキリストにより殺される不法の人はパウロと同時代の人だと示されているのです。実際、ヨセフスとタキトゥスは、聖書が示しているように、天空の戦車部隊がユダヤ戦争の時にはユダヤ上空を駆け回っていたと記録していますが(『ユダヤ戦記』/『同時代史』)、これは再臨の証拠でなくて何でしょうか。それにもかかわらず、聖徒たちは自分の考え、昔からの考え、非聖書的な考えにしがみついて離れようとしません。「聖書は神の言葉である。」とか「我々は御言葉にこそ立つ。」などと言っているにもかかわらず、です。御言葉よりも理性に立っているではありませんか!これは霊的な倒錯だと言わねばなりません。(4)このように、この世界と人間は右も左も上も下も倒錯の愚かさに包み込まれています。これは人間が堕落している紛れもない証拠なのです。神に恵まれたごく一部の者だけが、かろうじて、しかも限られた領域において倒錯を免れているに過ぎません。ですから、真実を知れば知るほど、いかに世界と人間が腐敗しているか私たちは気付かされるのです。しかし願わくは神が幾人かでも倒錯の愚かさから免れさせて下さいますように。アーメン。