週報:【天国と信仰について】(2022/02/06)


この世は故人が天国に行ったと勝手に思い込む傾向を持っています。例えば、日本人は故人が天国で見守ってくれているなどとよく言いますし、恐らく無宗教であった高名な物理学者のガモフもアインシュタインとラザフォードが天国に行ったと思っていました。「勝手に思い込む」と書いたのは、それが何の知識にも基づいていないからです。このように人間が、天国にせよ地獄にせよ永遠の世界に思いを向けるのは、神が永遠への思いを人間の心に植え付けられたからです。伝道者の書3:11の箇所ではこう書かれています。「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」聖書は天国があると教えているものの、しかしそこには誰でもが入れるわけではないと述べています。聖書の教えはこうです。すなわち、天国に入って永遠に生きるのは御子イエス・キリストを信じた者だけである、と。ヨハネ3:16の箇所でこう書かれている通りです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」一方、御子を信じない人は地獄に投げ込まれます。何故なら、「信じない者は罪に定められます。」(マルコ16:16)とキリストが言っておられるからです。つまり、御子を信じない者は御子の聖なる血により罪が清められていないので、永遠に罪人として地獄で裁かれるのです。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1:7)と聖書にはあります。この「御子イエスの血」による清めなしには地獄に行く他ありません。天国に行ったならば、人は自分たちの目的であり存在理由である神にいつまでも仕え続けます(黙示録7:15)。そこは、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」(黙示録21:4)場所です。また、そこには「もはや、のろわれるものは何もない」(黙示録22:3)のです。要するに、そこは正に『天国』なのです。既にこの天国に行った聖徒たちは全く安泰です。永遠の安泰が彼らにはあります。何故なら、キリストは信じる者についてこう言われたからです。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25~26)ですから、天に召された聖徒たちのことで私たちは全き安心を持つことができます。しかし、御子を信じなかったので地獄に行った人たちについて言えば、正に悲惨であるとしか言えません。地獄で「彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」(黙示録20:10)のだからです。今に至るまで日本人の99%以上は地獄に行っています。あの人の先祖も、この人の先祖も、どの人の先祖も、全て地獄で苦しんでいます。今の日本人も死んだならば先祖たちと同じように地獄へ行きます。これは何と悲惨なことでしょうか。しかし、今後の日本人がどうなるかは誰にも分かりません(伝道者の書8:7)。「日本人はこれからも御子を信じない。」などと誰が決めたのでしょうか。「神はこれからも日本人が信仰に入らないよう暗闇へと放置し続けられる。」などと誰が預言できるのでしょうか。それゆえ、これからも引き続き日本人に対しキリストの救いが宣べ伝えられて行かねばなりません。宣べ伝えなければどうしてキリストを信じられるでしょうか。聞いたことのない御方をどうして信じられましょうか(ローマ10:14)。