週報:【神はどうして悪人をも恵まれるのか?】(2022/03/06)


「神は愛」(Ⅰヨハネ4章8節)ですから、「恩知らずの悪人にも、あわれみ深い」(ルカ6:35)御方です。このため神は悪人にも善人と同じように太陽や雨の恵みを与え(マタイ5:45)、季節や食物も与えて下さっておられます(使徒の働き14:17)。人類の多くは、キリストにより神と和解していないので神の「敵」(ローマ5:10)です。しかし、神は御自分の敵である人間にも恵みを与えて良くして下さっておられます。「敵を愛しなさい。」(ルカ6:35)と命じられた神は、御自身が敵を愛される御方です。それどころか神は御自分を憎んでいる敵を大いに栄えさせることさえなさる御方です。それはネロをはじめとした昔のローマ皇帝を見れば分かります。それでは、神が敵である悪人にも恵み深くして下さるのは何故なのでしょうか。その理由は幾つかあります。まず第一に、神の栄光が現われるためです。悪人にさえ神が良くして下さるのであれば、神の恵みの栄光がまざまざと顕わになります。神は御自分の栄光が現われるためにこの世界を造られたので、悪人にさえ恵みを与えて御自分の恵みが示されるようにしておられます。悪人はまさか自分に神が恵みを注いでおられるなどとは考えないかもしれません。しかし、その恵みは事実であって、御使いたちと聖徒たちとキリスト者ではないものの神を信じる宗教的な人たちに認められ、賛美されます。たとえ悪人が自分に対する神の恵みを悟らなくても、彼らに認められ賛美されればそれで良いのです。第二に、悪人が神の恵みを知ることで悔い改めに導かれるためです。悪人であっても自分に神が恵んで下さっておられると知れば、感動して悔い改めに導かれるかもしれません。実際、ザアカイは悪人でしたが、キリストが彼に良くして下さったので感動して悔い改めました(ルカ19:1~10)。このため神は悪人にも恵みを生涯にわたって注がれ続けます。最後の最後で神の恵みを悟り、悔い改めてイエス・キリストに引き寄せられる人もいるだろうからです。それゆえ神はこれからも悪人に良くして下さることを止められません。それは永遠の昔から選ばれていた悪人が救われるためなのです。第三に、悪人が滅びることについて弁明の余地を全く取り上げるためです。悪人が自分に与えられている神の恵みを悟らず悔い改めないままでいるならば、その悪人はとんでもない忘恩の徒だということになりますから、どうして地獄に投げ込まれてから弁解を弄することが出来ましょうか。地獄でその悪人が何か馬鹿げたことを言っても、神に「私は生涯ずっとお前に恵みを注いでいたが、それなのにお前は私を無視し続けた。」と反論されてしまうだけです。その悪人は生まれた時から既に罪人であるゆえ弁解の余地がないというのに(詩篇51:5)、神の恵みを長々と受けていたばかりにますます弁解の余地がなくなるのです。第四に、目の見えない人がますます目の見えない人となるためです。悪人にも善人と同じように神が恵みを注いでおられるのであれば、善人にだけ神が恵みを注がれる場合と異なり、世の人々が神を認めることは難しくなります。その場合、霊的な盲人である世の人々は悪人と善人に分け隔てなく幸いがあるのを見るので、むしろ心の中で「神はいない。」(詩篇14:1)などと言って無神論へと導かれることになります。何故なら、悪人と善人の幸いに区別が付けられていないので、霊的な盲人には神の存在を認める糸口がないように思われてしまうからです。神はこのようにすることで、ただ信じる者だけが神を知ることのできる世界にされました。このため、信じない者はいつまでも神のことを悟らず、霊的に目が見えないままなのです。これは人間の理解を越えた非常に深遠で霊的なことです。