週報:【御子を拒絶し続けている日本】(2022/03/13)


この日本は非キリスト教の国であり、その国民はほぼ100%の人が御子を持っておらず、国民の象徴である天皇もキリスト教を否定・批判したりはしないものの聖書に服してはいません。日本人の大半は無宗教であって、神社やお寺には抵抗なく行きますが篤い宗教心を持っているわけではありません。たとえ合掌したり祈ったりしても、それは弱いまたは一時的な宗教心に基づいているか、自分の利益のためにしています。このような日本人についてパウロはこう言っています。「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3:19)詩篇53:2~3の箇所でも日本人についてこう言われています。「神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。」日本人のように深い宗教心を持っていませんと、必然的に深い精神も持てなくなります。何故なら、神をさえ愛せないような人が、どうして人を真に愛することができるでしょうか。神という最も愛されるべき聖なる完全な存在でさえ愛せないのであれば、尚のこと人間という罪深く不完全な存在は愛せないことになります。これは次の事実が証明しています。すなわち、日本では外国人や新参者といった部外者的な存在が差別されがちであり、自殺者が多く、スキンシップに抵抗を持つ人が多くおり、金と欲望が第一に求められがちです。このためスリランカの大統領は日本を「精神なき経済大国」と揶揄しました。欧米人も高度成長期の日本人を「エコノミックアニマル」と呼んで軽蔑しました。日本人はブライダル産業のために有ろうことかハワイにあった本物の教会を買収しようとしたほどですが、現地住民の顰蹙を買ったのは言うまでもありません。我が日本は神の真理を知らず持っていないので、神から大きな祝福を受けることができていません。これは日本のことを考えればよく分かります。日本はアメリカから言いなりにされています。ロシアとの間における北方領土問題も一向に解決する気配を見せません。中国からの脅威にも晒されています。弾道ミサイルを発射する北朝鮮にも脅かされています。韓国からはいつまでも妬まれ憎まれ蔑まれるばかりであり、友好的な状態になったり、圧倒的な優位を持ってこの国の口を封じるということもできていません。また、これから日本は更なる少子高齢化の悩みに襲われるはずです。中高年層以降の多くの人が嘆いている通り、今の日本人はバブル期以前に比べて明らかに様々な面で劣化しています。もし日本人の多くが御子を信じるプロテスタントだったとすれば、神から大いに祝福されていたでしょうから、このような状態は見られなかったはずです。アメリカに対等な物言いをしたり、北方領土問題でもロシアを敗北させることが出来たでしょう。日本における最も悲惨な事実は、そのほとんど全ての国民が死んでから地獄で永遠に苦しむということです。今の日本人は地獄であり地獄の民です。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」(Ⅰテモテ1:15)という福音の言葉を聞いても受け入れず信じようとしないのですから、日本人が救われないで地獄に行くのは自業自得です。日本人の多くはキリストを信じようとしませんから、弁解の余地は全くありません。あの人も地獄、この人も地獄、どの人も地獄です。私は今の教会がよく日本人に対して「あなたは神に愛されています!」などと言っている嘘また不確かなことを言ったりはしません。むしろ、私は「日本人は神から憎まれているので死んでから地獄に投げ込まれます!」と言いましょう。ただ御子を信じている日本人だけは話が別ですが。これからも日本人が御子を拒絶し続けるにせよ、これからは日本人の状態が大いに変わるにせよ、教会は日本人に対し変わらずイエス・キリストの福音を宣べ伝えて行かねばなりません。「信じる者は永遠のいのちを持ちます」(ヨハネ6:47)から、幸いな日本人です。しかし、「信じない者は罪に定められます」(マルコ16:16)から不幸な日本人です。もし日本人がこれからも御子を信じなければ、裁きとして日本は落ちぶれ、信者が今かなり増えている中国に圧迫され悲惨となる可能性は高いと思われます。この静岡について言えば、御子を受け入れないことに対する神の怒りが、富士山の噴火という実際的な形でもって示される可能性が十分にあり得ます。神が和解の手段として遣わされた聖なる御子をいつまでも拒絶し続けるような不信仰の民族が、神に対して不信仰で罪深い状態であるのにもかかわらず、いつまでも神から守られたり良くしてもらうことは恐らく出来ないでしょう。