週報:【人を縛り付ける悪】(2022/04/03)


草薙球場でもプロ野球の試合が行なわれていますが、「最も面白いスポーツは何か?」と聞かれたとすれば、その答えは間違いなく「剣闘士試合である。」となりましょう。これはもう行なわれなくなっていますが、古代では最も人気のあるスポーツでした。参加するのは主に奴隷や囚人でしたが、あまりにも面白いので金持ちや権力者、果てはローマ皇帝さえも自ら剣闘士になるほどでした。剣を持った剣闘士が正真正銘の殺し合いゲームをするのです。これ以上に面白いスポーツは無いと断言できます。血が流れることのあまりないボクシングでさえ人々を熱狂させ虜にします。ボクシングで死者が出るのはたまにあるかないかぐらいでしょう。ところが、剣闘士試合では常に大量の血が流れ、高い確率で一方の剣闘士か両方の剣闘士が死んでしまいます。であれば、剣闘士試合はボクシングなど比べ物にならないほど面白かったはずです。これをスポーツと呼んでいいのかという疑問があるものの、とにかくこの殺人ゲームには人を夢中にさせる悪魔的な魅力がありました。現代人であれば多くの人が「そんなのどこがいいのか。道徳的に問題だろう。」と思うに違いありません。私もそのように思います。しかし驚くなかれ、古代人も実際に剣闘士試合を見るまではこのように思っていたのです。セネカによれば、多くの人は剣闘士試合を見ないかと友人から誘われても、道徳的に良くないからというので見に行こうとしませんでした。ですが「忍耐強く説けば、首領も納得する」(箴言25:15)ほどですから、何度も誘われると、遂に根負けして仕方なく剣闘士試合に行ってしまいます。そして試合場に行くと殺人ゲームなど決して見るまいと両手で顔を覆っているのですが、剣闘士が斬られて滝のような血を噴出させると観衆は大いに沸き立つので、その人も何が起きているのか気になって少しだけ目を開けそこで起きている光景を見てしまいます。そのようにしたらもう終わりであって、流れる血の魔力とは実に凄まじいものですから、その人は血を大量に流している剣闘士の姿に全く釘付けにされ興奮が止まらなくなります。こうしてその人はこの日から剣闘士試合の大ファンになり、大喜びで試合場から家に帰るのですが、このようにして剣闘士試合は古代世界で大人気を博したのです。今の世界でこの試合をテレビ中継また録画放送すれば社会問題になるのは間違いありませんが、しかし熱狂的な支持者も多く現われるでしょう。しかし、これはその強烈な魔力とその非人道性ゆえ、二度と復活させてはならないゲームです。これは麻薬と似ています。麻薬ほど大きな快楽を齎すものは他にありません。しかし、麻薬は中毒性も凄まじいものがあります。その中毒性ゆえ最初は抵抗を持っていた人が麻薬を一度でもやれば、もう終わりであり、麻薬から抜け出せなくなってしまいます。「罪」はこの剣闘士試合や麻薬と似ています。罪も最初は抵抗を持っていたのに、一度でも犯すと平気で行なうようになったり抜け出せなくなります。これは「窃盗」すなわち盗みの罪が分かりやすいでしょう。お店で盗みをする人は一度盗むと、盗んだことによる利益と興奮を忘れられなくなり、ずっと盗み続けることを止めなくなります。また、これは罪だけでなく「悪い者」でも同様のことが言えます。悪い者と少しでも縁を持つならば、ずっと縁を断ち切れなくなる場合が多いのです。その悪い者が家にしばしば訪れたりするからです。こうしてその人は悪い者に悩まされることとなります。こういうわけですから、私たちは罪や悪い者とそもそも最初から接触すべきでさえありません。僅かな接触が更なる接触を引き起こすかもしれないからです。「最初の一触れ」は危険です。だからこそ神は旧約聖書でユダヤ人が罪や悪い者と縁を持たないようにと命じられたのです(申命記7:1~6)。何かの罪や悪い者と関係を持たず、キリストの聖徒として清く歩める人は本当に幸いです。しかし、もし私たちが関係を持つならば、剣闘士試合や麻薬に陥った人のようになかなか解放されなくなったとしても自業自得です。何でも蒔いた種は刈り取らねばならないのです(ガラテヤ6:7)。