週報:【罪により破壊された原初の素晴らしい世界】(2022/05/01)


この世界が原初においてどのような状態だったか示している「見よ。それは非常によかった。」(創世記1:31)という御言葉は、どれだけ考察しても考察し過ぎるということがありません。何故なら、この御言葉を考察するならば、僅かばかりであってもこの世界が原初においてどうだったか知ることができるからです。その時にはまだ悪が世界にはありませんでした。ただの少しも、一つも、塵ほども悪はありませんでした。しかし、今の世界は悪に満ち満ちています。つまり、原初の世界は今と全く異なる状態でした。そのような素晴らしい状態だった頃の世界について少しも興味を覚えないほど知識欲のない人がいるのかどうか、私は知りません。原初の世界で、蛇はまだ翼と手足を持っていたはずです。実際、蛇には手足の痕跡があります。つまり蛇は初めは「竜」であり非常に良い動物だったのですが、呪いにより翼と手足が切り取られて今見られる通り惨めな姿となったわけです(創世記3:14)。蛇については既に何回か述べていますから、もうこのぐらいでいいでしょう。人間について言えば、原初の人間が翼を持っていた可能性はかなりあります。私がこのように考えるのは、背中にある肩甲骨は翼と適合性が高いと感じられるからです。実際に動かして確かめると分かりますが、肩甲骨の部分の動きは正に翼を動かすための動きであるかのようです。もしこれが本当だったとすれば、人間は初め空を飛べたことになります。肩甲骨の部分に作り物の翼を付けている人や、そのような姿の人間を描いた絵やCGは珍しくありませんが、それほど違和感は感じられません。違和感がないということは自然であるということですから、もともと人間に翼があった可能性はかなりあると見てよいでしょう。しかし、犬に翼が生えているのを見ると、どこか違和感があります。これは、最初から犬には翼が生えていなかったからなのでしょう。また、これは確実なことですが、原初の人間が出した排泄物は汚くも腐くもない良い排泄物だったでしょう。今の人間が出す排泄物は汚く臭く明らかに悪い排泄物です。神も律法の中で、堕落後の人間が出す排泄物を忌み嫌っておられます(申命記23:12~14)。しかし、まだ堕落していなかった原初の世界は全てが「非常によかった」のですから、排泄物も綺麗で無臭か香ばしい匂いのする良い排泄物だったはずです。それは全て植物の肥料および昆虫の食料になっていたと推測されます。神が最初からどうしてあんなに良くない液体と物体を作られたというのでしょうか。ありえないことです。ですから、排泄物が悪くなったのは堕落後のことなのです。下腹部から恥ずべき物質が何も出ないわけですから、原初において下腹部は恥ずべき部分ではなかったわけです(創世記2:25)。また、原初の人間は非常に優れた頭脳を持っていたでしょう。ジョン・フォン・ノイマンほど優れた頭脳を持っていた人間はかつていませんでしたが、原初の人間はこのノイマンのような頭脳を持っていたはずです。これはアダムが1日の間にあらゆる動物を的確かつ迅速に名付けたことからも分かります(創世記2:19~20)。ノイマンも迅速に確かな解答をしたり指摘したものでした。さて、このような素晴らしい原初の世界も、人間が犯した罪によりことごとく破壊されてしまいました。人間の神に対する罪が、この世界に死と苦しみと腐敗と汚れと悲惨を生じさせたのです。もし人間が罪を犯していなければ、世界は今も堕落せず素晴らしい状態を保っていたでしょう。罪が神の被造物を損ねたのです。私たち人間が神に犯したこの罪の責任は全て私たち人間にあります。罪赦されていない全ての人間は、自分の罪の責任を負い、永遠に地獄で裁かれ苦しまなければなりません。それゆえ、全ての人間は神の御前で犯した罪を悔い改め、イエス・キリストによる罪の赦しを受ける必要があります。そうすればキリストの聖なる血により罪から清められるので、もはや永遠に地獄で断罪されることはなくなります。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1:7)と書かれている通りです。地獄に行ってから罪を悔い改めようとしても既に時遅く、そこで悔い改めることは決してできません。