週報:【原初の世界と今の世界の違い】(2022/05/08)


先週からの続きですが、原初の世界について示された「見よ。それは非常によかった。」(創世記1:31)という御言葉を考えると、今の世界があまりにも悲しむべき状態だと分かるので、絶望的になるほどです。原初の世界は祝福に満ち祝福しかありませんでした。今の世界は堕落が満ち呪いで一杯です。原初の世界と今の世界は、正に天と地ほどの違いがあります。先週の週報ではその違いを4つ書きました。今週の週報では5つの違いを見たいと思います。一つ目は「死」の違いです。原初の世界では、人間が罪を犯さない限り、エデンの園の中央にある「いのちの木」から実を食べて永遠に生きられるようになっていました(創世記3:22)。しかし、今では最も長く生きても119歳が限界です。一方には死がなく、一方には死がある。これは何という大きな違いでしょうか。二つ目は「陣痛」です。原初の世界で女性が子を産む際は、全く苦痛がないか、あってもほんの少しだけでした。これは原初の人間が身体的に強く祝福されていたからです。しかし、人間が堕落してから陣痛という途轍もない苦痛が出産には伴うようになりました(創世記3:16)。三つ目は―これは推測の度合いが強いのですが―「身体の大きさ」です。アウグスティヌスやホメロスなど古代人の著作から考えると、原初の世界では人間であれ動物であれ昆虫であれ非常に大きいサイズだった可能性があります。実際、大きな骨格の死骸が発掘されているのですから、これは荒唐無稽な考えではないはずです。古代世界では祝福が満ちていたのですから、身体が大きかったとしても何も不思議ではありません。偽書であるユダの福音書では、パラダイスの葡萄は一つの木に1万もの房が生っているなどと書かれていますが、この偽書はふざけた異常な文書であるものの、原初の世界には祝福が満ちていたのですから、植物がこのようであった可能性もないわけではないでしょう。四つ目は「夫婦関係」の違いです。原初の世界において、夫は妻に対し高圧的でなく、妻も教会がキリストに服従するごとく夫に服従していました(エペソ5:24)。しかし世界が堕落した今は、夫が暴君的な傾向を持つようになり(創世記3:16)、妻も夫に従わないということが起こるようになりました。今に至るまで夫の粗暴な振る舞いや暴力に耐えていた妻は少なくありませんが、原初の世界でそういったことは全くなかったのです。五つ目は―これは推測なのですが―「宇宙の膨張」についてです。エドウィン・ハッブルの発見した銀河の赤方偏移は宇宙膨張の事実を示している可能性がかなり高く、ほぼ全ての物理学者たちも今の段階ではそのように信じています。この膨張は原初の世界に存在しなかった可能性があります。すなわち、それは人間の堕落に宇宙さえも巻き込まれたゆえ生じた可能性があります。どうして私がこう考えるかといえば、銀河の相互的な離反は、神の三位格における和合性を全く反映しておらず、むしろ神の位格間における和合性とは逆の現象なのであって、呪いの結果として銀河が離れ合うようになったと見做せるからです。…というわけで、人間の罪により全ての被造物は破壊され堕落しました。その罪とは、神に従わないという罪です。今でも人間はこの罪を神の御前に犯し続けています。神はこのような罪深い人間を地獄で永遠に裁かれます。ですから、人は悔い改めて主イエスを信じなければなりません。そうすれば罪に対する永遠の裁きをキリストのゆえ免れることができます。「御子を信じる者はさばかれない。」(ヨハネ3:18)また「主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。」(詩篇34:22)と書かれている通りです。今の世界に見られる堕落が、人間の罪を如実に示しています。もしキリストを信じなければ決して永遠の裁きを免れることはできません。