週報:【主を尋ね求める者】(2022/06/05)


「主を尋ね求める者はすべての事を悟る。」(箴言28:5)という御言葉は真理です。確かに主とその御言葉を求めるならば、あらゆる事柄を神の恵みにより悟れます。しかも、ダイレクトに悟れます。何故なら、万物は主のために造られたのであり(コロサイ1:16)、主は「その力あるみことばによって万物を保っておられ」(ヘブル1:3)るからです。万物の存在理由である主と万物を保持している主の御言葉を考えるならば、この世界のあらゆる事柄を直接的に悟れるのは不思議でも何でもありません。主を尋ね求める度合いが高いほど、悟れる度合いも高まります。ですから、いつも主とその御言葉を考えている人は、いつも何が起きているのか悟れるようになります。このように出来るのはプロテスタントだけです。何故なら、主とその御言葉を持っているのはプロテスタントだけだからです。プロテスタント以外の教派はキリストを持っていませんし、御言葉を見てもいません。例えば、私たちに良いことか悪いことが起きたとします。この場合、良いことまたは悪いことが起きたのは、かつて自分もその通りにしたからだと分かります。何故なら、主は「あなたがしたように、あなたにもされる。」(オバデヤ15)と言われたからです。また、どうしてイスラム教の国がいつまで経っても栄えないままなのかもすぐに分かります。それは彼らが祝福の源であられる主を無視し退け続けているからなのです。主について考えるからこそ、イスラム教の国についても分かるようになります。また、どうしてこの世界には、多くの民族、多くの性格、多くの星々、多くの植物などが存在しているのかも悟れます。そして、これからも世界には多様性が保持され続けることも分かります。何故なら、神は三位格であられ多様性を好まれるからです。また、どうして果物が美味しいのか、自然が美しいのか、こういった事柄も主を尋ね求めるならば分かります。それは主が愛の神であられ人類に対し恵み深いからです。こういうわけですから、聖徒である私たちは全ての事柄を悟るため、より主を尋ね求めるようにすべきなのです。そうしなければ私たちは何も悟れないままです。信じない者たちを見て下さい。彼らは主を全く尋ね求めていないので何も悟れず、この世界がどうして造られたのか、人間は何で存在しているのか、といったごく簡単な事柄でさえ分からないほどなのです。まだ主を信じていない人たちは、まず主を信じなければいけません。主キリストは私たちを罪から救うため十字架で死なれました。「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。」(イザヤ53:5)と書かれている通りです。この聖なる救いを信じるならば、その人は救われて主の民となるので、「主を尋ね求める者」へと変えられます。何も悟れない闇の状態から全てを悟れる光の状態へと移行するのです。これは実に大きな変化です。是非、これから一人でも多くの人が主を信じて主を尋ね求める者となりますように。アーメン。