週報:【キリスト教的であることに対する祝福】(2022/06/26)


様々な国を見ていると、私の感覚から言えば、やはりアメリカほどキリスト教的な国はないと思わされます。アメリカの大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓しますが、これを知らない人はいないでしょう。大統領が演説する際は、必ず最後に「神のご加護がありますように。」などと言います。大統領の演説で聖句が引用されることは珍しくありません。子ブッシュは9・11テロ事件の直後に行なった演説で、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」という詩篇23:4の聖句を引用しました。バイデンも大統領就任時の演説で詩篇126:6の聖句を引用しています。もちろん大統領といっても教会では普通の一般信徒に過ぎませんから、私から見れば、あまり上手な引用とは思えません。子ブッシュは引用箇所の文脈を全く考慮していませんし、バイデンの引用は文章が不正確でした。しかし、巧みな引用でなくとも国のトップが聖句を引用するというのは、誰も聖句など引用しないこの日本と比べたらどれだけ素晴らしいことでしょうか。また、アメリカの各地では伝道をしている人が普通にいます。ロサンゼルスやラスベガスなど人通りの多い場所では「jesus is lord」とか「神を信ぜよ」などと書かれたプラカードを両手で頭上に掲げながら、人ごみの中を歩いている人がよくいます。ニューヨークの繁華街であるタイムズ・スクエアなど人の多い場所では、のぼり旗を置いて伝道している人が普通に見られます。また、街の中では信仰的な言葉を見かけることが少なくありません。ある場所には「for god」などと書かれているモニュメントがあります。テレビでも、クリスチャンであれノンクリスチャンであれ有名人が普通にキリストについて言及しています。音楽でも歌詞の中に「jesus」とある曲は少なくなく、クリスマスの曲ではどれだけキリストについて歌われていることでしょうか。このような状況は日本では全く考えられません。イギリスでもこれほどではありません。イギリス女王やイギリスの政治家はアメリカ人ほど大胆に聖句を引用したりしません。またイギリスではプラカードを掲げながら歩いたり、街中で伝道している人も見られません。これはドイツやスイスや北欧のプロテスタント教国、またフランスやイタリアなどのカトリック教国でもほとんど変わりません。アメリカほど聖書と信仰に大胆な国はないのです。カトリック教国のフィリピンでは、キリストやマリアの描かれた服を着ている人が多くいます。しかし、アメリカのように信仰的な言葉はほとんど見かけません。なるほど、これではアメリカが経済的に最も繁栄し、絶大なプレゼンスを持ち、諸国のうち最強の国でいられ続けるわけです。それはアメリカが最もキリスト教的であるゆえ最も祝福されているからです。もちろんアメリカにも耐え難い点が無数にあります。日本人は民族的な性質として何か少しでも嫌な点があるとすぐに全体を否定しがちですから、アメリカをその良くない要素ゆえ嫌っている人も少なくないかもしれません。しかし、アメリカに良くない要素が多くあっても、全体的には諸国のうち最も祝福されていることを疑う人は恐らくいないはずです。アメリカがキリスト教的である限り、これからもアメリカは全体的に祝福されるでしょう。しかし、このアメリカは徐々にキリスト教的でなくなっている傾向があると感じられます。アメリカの最高裁判所は2015年に全ての州で同性婚を認める忌むべき狂気の判断を示し、首都ワシントンでは何と10%もの住民が同性愛者ですが、聖書信仰のクリスチャンのうち、こんな非聖書的な判断や状況に一体誰が耐えられるでしょうか。また現在のアメリカ副大統領は女性のカマラ・ハリスであり、このままでは女性大統領の誕生は時間の問題だと思われますが、今のアメリカは聖書で女性の支配が禁止されていることを知らないようなのです。また公立小学校の教室から十戒の書かれた板が撤去されてからもう50年ほどになっています。このままではアメリカがますます非キリスト教的になっていくはずです。私の思うところでは、このアメリカという国では、祝福の度合いに限度があります。それはアメリカがキリスト者だけの国でなく、徹底的にキリスト教的であることを求めていないからです。しかし、私の考えている新しい国「クリスチャニア」は違います。この国はキリスト者だけが国民になれるのであり、聖書が国家の土台であり、全てが徹底して聖書に基づいて行なわれます。ですから、この国は必ずアメリカよりキリスト教的になります。もしこの国がこれから造られたとすれば、アメリカは間違いなく最強国家の座から陥落することとなります。最もキリスト教的な国が最も神から祝福されるからです。