週報:【キリスト教の感化と救い】(2022/07/17)


「あなたがたは互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)これは主が聖徒たちに与えられた命令です。使徒ヨハネもこれと同じことを聖徒たちに命じています。こうです。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。」(Ⅰヨハネ4:7)こういうわけで教会には愛が無ければいけないと分かります。イギリスの高名な哲学者でありバートランド・ラッセルの名付け親でもあるJ・S・ミルによれば、このキリストの御言葉は今や全人類の共有財産にされたということです。ラッセルは未信者であったもののキリスト教には好意的であり、最近の教会が初代教会の敬虔さからかけ離れていることを嘆いていたほどですが(これについてはガンジーも嘆いていました)、非常に鋭い見解だと感じられます。この興味深い見解はかなり重要だと思われるので、本当なのかどうか検証する必要があります。これほどの哲学者がキリスト教に関わる重大だと思われる見解を示しているのですから、これは是非とも検証されるべきなのです。この見解は、歴史を振り返るならば、間違っていないと言っていいでしょう。今の世界を見るとどうでしょうか。世界中で実に多くの人が平和を叫んでいます。外国や外国人を差別すると問題視されることが少なくありません。どこかの国で事件や事故が起これば、多くの国がすぐ助けに来たり援助したりします。人類愛について語っている人は珍しくありません。このようなことから考えれば、今の世界にいる人々が全てではないにしても傾向として互いに愛し合っている、もしくは愛し合おうとしていることは誰にも疑えないはずです。ところが、昔の人々すなわち宗教改革とルネサンスと出版革命により近代社会が到来する以前の人々は、このようではありませんでした。もちろん昔の人たちも全く人類愛を持たなかったわけではありませんが、どこの国の人もだいたい「外国は外国で自分たちは自分たち」という意識を持っていました。このため昔の世界では、今のように「人類は兄弟なのだから仲良くし合うべきなのだ。」などと言われることはほとんどありませんでした。ですから、ミルの見解は正しいとして問題ないでしょう。人類が昔と違って愛し合うようになったのは、キリスト教の影響以外ではないはずです。近代社会はキリスト教無しに存在し得ません。もしキリスト教が無ければ、世界は今でもまだ中世のままだったはずです。つまり、キリストの御言葉に基づく教会の友愛精神が、人類の全体を感化したということです。ですから、「世界中の人々が仲良くなればいいのに。」という類の言葉はキリスト教に影響された言葉だということが分かります。またミルは、上記のキリストの御言葉は人類の永遠の所有財産とされたので、もはやそれを人類が失うことはないとも言っています。これはどうなのでしょうか。今の世界を見る限りでは、確かにこれからも人類は互いに対する友愛の精神を持ち続けていきそうだと思えます。もしこれからも人類が友愛の精神を持ち続けるとすれば、それはキリストの御言葉に立つ教会を通して人類全体に神から注がれた一般恩恵であることになります。このようにキリスト教の良い影響が世の中に浸透するのは、神の一般恩恵なのですから、喜ばしいことです。人々が聖書思想に感化されるというのは、いつの時代であっても幸いなことです。しかし、何よりも幸いなのは、世の人々がキリスト教に影響されるというよりキリスト教そのものになること、すなわち「キリストの救いを受けて聖徒になること」です。キリスト教の感化によりますます良い世界へ変わっていくことは大事ですが、私たちは何よりもこの救いを求めていかねばなりません。キリスト教にどれだけ感化されても救われなければ最後は地獄での永遠の苦しみが待っているのですから。