週報:【聖書と動物について】(2022/08/14)


聖書は、「動物」そのものについてそれほど多くを述べていません。というのも聖書は契約の書物であって博物誌ではないからです。聖書で動物はそれ自身について述べられているというより、何かを示す比喩として用いられることがほとんどです。例えば、神が鷲として現わされたり(申命記32:11)、蟻が勤勉を教えるために用いられたり(箴言6:6~11)、狐により狡猾さが示されたりしています(ルカ13:32)。ですから、聖書を読んでも動物自体について詳しい知識はそれほど多く得られません。もちろん、聖書の記述から動物について導き出せる本質的・究極的な知識であれば多く得られます。しかし、生態とか身体的特徴といった博物誌で取り扱われるような個別的知識は、聖書の専門外なのです。聖書は動物の専門誌ではありませんから、これは当然のことです。聖書と動物に関して多くの人が知りたいと思いそうな存在は、やはり「恐竜」ではないでしょうか。ところが、この恐竜は他の多くの動物と同じで、聖書に全くその存在さえ書き記されていません。ですから、恐竜については聖書思想から大まかな事柄が分かるのみです。例えば、恐竜が6000年前より昔に存在したという一般的な理解は、聖書思想から全くの誤りであるとことが分かります。何故なら、聖書によれば6000年前より昔はまだこの宇宙さえ創造されていなかったからです。また、恐竜が進化してあのような姿になったとか、今私たちが見ている鳥はこの恐竜を先祖に持つなどといった考えも、聖書から出鱈目であると分かります。聖書は進化など無かったと教えているからです。恐竜が絶滅した理由についてはどうなのでしょうか。これについても聖書は何も述べていません。では聖書から恐竜が絶滅した時期について何か知ることは出来ないのでしょうか。これについても聖書から何かを知るのは難しいと思われます。地球に落ちた巨大な隕石が原因で絶滅したなどという一般的な考えは、進化論を奉じる妄想家たちがでっち上げた単なる小説に過ぎませんから考慮する価値さえありません。恐竜が絶滅したのは、大洪水の前か後のどちらかです。大洪水に呑み込まれて絶滅したということはありえません。何故なら、もし大洪水の時代にまで恐竜が生きていたとすれば、ノアや他の動物たちと箱舟に入り絶滅しないで済んだはずだからです(創世記6:19~20、7:8~9)。もし箱舟に入ったとすれば絶滅したのは大洪水の後です。それゆえ、恐竜が箱舟に入ったのか入らなかったのかが大きな焦点になります。教会ブログでも書いた通り、「原始人」と一般に呼ばれている異常な人間であれば洪水後にノアの子孫として生まれたと分かりますが、恐竜のほうは滅びたのが洪水前なのか洪水後なのか判定に悩まされます。確実に分かるのは恐竜の絶滅が神の御心だったということです。神は御心に適ったことしかなさらないのですから。「猫」についてはどうでしょうか。猫は聖書に全くその存在が出ていません。猫について聖書から分かるのは、この動物が神により創造され、今に至るまで神が生かしておられるということです。これまで猫が生かされ今の世界に多くいることから考えるならば、これからも猫は絶滅させられないと思われます。「犬」はどうでしょうか。犬は忌まわしい人間を示すため比喩として使われたり(申命記23:18、ピリピ3:2、黙示録22:15)、死人の取り扱いが悲惨であることを示すため用いられたり(Ⅰ列王記22:38)、貧乏人ラザロの惨めさを引き立てるため神が連れて来られたり(ルカ16:20~21)、聖書においてあまり取り扱いが良くありません。聖書には犬が愛玩動物であると明白に示されていません。ですから、ユダヤ人が犬をペットとして飼っていたかどうかもよく分かりません。詰まる所、聖書は動物の生態的な詳細については、根本的な事柄を除いて、人間たちが自分で探求するよう学問の領域に委ねています。この動物は人間が支配するべき対象です(創世記1:26、28)。人間は動物を支配する王としての被造物です。ですから、神は人間が食用など自分たちの益とするため動物の殺害を許しておられます(創世記9:3)。しかし、神は動物を殺していいからといって人間が動物に対して残虐になるべきでないとも命じておられます(申命記22:6~7)。これが聖書から分かる動物についての教えです。