週報:【いつまで凶行が続く社会状況を望むつもりなのか】(2022/08/28)


刃物による殺傷事件が絶え間なく起こっている理由は何なのでしょうか。先日も大阪で20代の男が交際相手の女を刃物により刺し殺しました。そのすぐ前にも東京の渋谷で埼玉に住む10代の中学3年少女が、歩行中の親子を刺し重傷となりました。このような類の殺傷事件はこれまで数え切れないほど起きて来ましたし、日本が今の状態のままではこれからも頻繁に起こることでしょう。殺傷事件が繰り返される大きな理由の一つは、現代日本の司法が欠陥しているからです。今の日本の法体制では、たとえ殺人者が捕まったとしても、死刑の執行までにかなりの時間がかかります。秋葉原殺傷事件の大量殺人犯でさえ死刑が執行されるまでに14年もかかりました。人殺しが死刑に処せられるということ自体は律法に適っており正しい。しかし、あまりにも遅く死刑を執行するのは間違っています。また昨今のニュースを見ていても分かる通り、人殺しでも死刑とならず、無期懲役か有期の懲役が課せられるのは珍しくありません。これは人殺しを遅く死刑に処するという先に述べた愚昧さよりも遥かに悪いことです。人殺しに懲役刑を課するというのは、国家が犯す司法的な大きい罪です。何故なら、神の国家に対する御心は、殺人者に死刑を下すということだからです。死に至らない傷害事件について言えば、どれだけ大きな傷害を負わせても、刑務所での懲役に服するだけで済んでしまいます。殺すことまで至らなかった凶行の犯人が死刑に処せられないというのは間違っていません。神もそのような犯人にまで死刑を処するべきだとは言われません。そのようにするのは極度に厳しい異常な倫理観を持つ独裁者ぐらいでしょう。しかし、このような犯罪者が懲役に服せばそれで済むという今の司法体制は愚かであり間違っています。というのも神が彼らに求めておられるのは自分も同じ傷害を受けるということだからです。つまり同害刑法です。神が「目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。」(出エジプト記21:24~25)と言われた通りです。真の社会正義は神の律法によらねば実現し得ません。言うまでもなく律法を持たない今の日本では社会正義が実現されていませんから、刃物などで凶行に走る者がずっと出続けるわけです。人を殺しても死刑になるまでかなり生きることができ、刑務所ではパズルをしたり好きな食物を食べたりできます。また人を殺したのに懲役刑だけで済む可能性もかなり高い。死に至らない傷害を与えた場合は懲役に服すればそれで済みます。刑務所を出れば人生の再スタートが待っています。受刑者にとって出所した時に味わう自由はどれだけ清々しいことでしょうか。このような法のシステムでは、犯罪予備軍に希望を与え、犯罪を勧めているのも同然です。これでは司法による強烈な威嚇が犯罪予備軍に恐怖を全く生じさせないので、凶行が絶え間なく繰り返されたとしても不思議なことはありません。神の知恵を持たない霊的盲人である白痴がこれまでの法体系を作り上げて来たので、このような事態となっています。もし聖書の命じる同害刑法が現代日本で実現されたとすれば、どうでしょうか。そうなれば人殺しは速やかに死刑に処せられます。人を包丁で刺したが殺すことまでしなかった犯罪者は、自分も包丁で死なない程度に刺されるという刑罰を受けます。人を暴力で精神障害者にした犯罪者は自分も暴力により精神障害を負わせられます。目をナイフで刺して失明させた者は自分もナイフで目を刺されて失明させられます。どうでしょうか。これは聞くだけでも恐ろしいことです。聞くだけでも恐ろしいようであれば、実際にこのような刑罰が執行されたらどれだけ恐ろしいことでしょうか。ところが恐ろしいからこそ、逆に平和と安全のためには益となります。何故なら、恐ろしければそれだけ強力な抑止力が生じるからです。ですから、このような同害刑法が実現されたならば殺傷事件は目に見えて激減するでしょう。社会正義をしっかり実現させているので神からの祝福に与かることができるわけです。このような社会であれば神の御心に適っています。もしこのようなシステムになったとすれば、傷害事件を起こした犯罪者は、決して捕まらないよう命懸けで逃げるようになるはずです。今の司法は犯罪者に呆れるほど優しいので、傷害事件を起こした犯罪者は、あまり全力で逃走するということもありません。警察が来れば普通に観念して逮捕されますし、自首する人も珍しくありません。ですから、もし犯罪者が逃走したならば刑罰を数倍に増し加えることで逃走を防止させなければいけません。すなわち、もし逃げたら捕まった際に更なる大変な苦しみを味わうという恐怖感が、犯罪後の逃走を諦めるようにさせなければいけません。