週報:【真の宗教はただ一つだけ】(2022/09/25)


この世にはキリスト教以外の宗教も多くあり、それぞれの宗教はそれぞれ異なる神と教義を持っています。イスラム教はアラーと行為義認、ユダヤ教は一位一体の神と律法主義、ヒンドゥー教は無数の神々とヨーガの果てに至る涅槃(ニルヴァーナ)の救い、といった具合です。どの宗教の信者も、いい加減な信者だというのでもない限り、自分たちの宗教における神と教義を堅く信じています。諸宗教のうちで、この全宇宙を無から創られた全能神により与えられた真の宗教は、キリスト教と古代ユダヤ教だけです。キリスト教とはすなわち古代ユダヤ教で隠され待ち望まれていた事柄が実現された宗教ですから、本質的に古代ユダヤ教と同一の宗教です。つまり、真の宗教はこの世にたった一つだけしかありません。これ以外の宗教はどれも偽りの宗教であり、人間が勝手に作り上げた人工宗教です。もっと詳しく言えば、それらは悪霊である反キリストの霊が人間を通して作り上げた宗教です。何故なら、それらの宗教はイエスがキリストであると告白しないからです。使徒ヨハネも言っている通り、イエスをキリストだと告白しない霊は全て悪霊である反キリストの霊ですから(Ⅰヨハネ4:3)、キリスト教(=古代ユダヤ教)でない諸宗教は全て悪霊が人間を動かして作らせた偽りの宗教なのです。使徒ペテロが「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒の働き4:12)と言った通り、主イエスの他に救いは存在しません。ですから、キリスト教でない宗教に属しているならば誰でも例外なく地獄で永遠の裁きを受けます。それらの宗教に救いはないのです。キリスト教は聖書に基づいてこのことをよく知っていますから、今に至るまで教会はキリスト教以外の宗教を否定し断罪してきました。それはキリスト教に真理があり、それ以外の宗教には真理がないからなのです。神の霊を受けている聖徒であれば誰でもこのことを知っています。このため、小沢一郎をはじめ少数の死人たちは「キリスト教には寛容さがない。」などと言って聖なる宗教を批判するのですが、このような批判は彼らが思考停止状態に陥っており表面的な捉え方しかしていないことを示しています。何故なら、真理が自分の正当性だけを主張し他を退けるということぐらいは少し考えれば誰でもすぐ分かるのであって、もし真理が自分にそぐわない他を受け入れたとすればそれはもはや真理だと言い難くなるからです。例えば、ある人の名前がその人の名前であるというのは真理であり(岸田首相の場合で言えば、彼の名前は「岸田文雄」であるというのが真理です)、もし誰かが自分の名前を勝手に名乗って「私こそが本人だ。」と言ったとすれば、誰でもその偽者に抗議したり訴えたりするでしょうけども、キリスト教が自分こそ真の宗教だと主張し他の宗教を退けるのはこれと同じなのです。自分の名前を勝手に名乗る偽者に妥協したり寛容になる人がいないように、キリスト教も偽りの宗教に妥協したり寛容になることはありません。このようにキリスト教こそが真の宗教であるため、この聖なる宗教は全世界の人々に受け入れられています。もしキリスト教が偽りの宗教であったなら、イスラム教やヒンドゥー教のように少数の民族しか受け入れていなかったでしょう。またキリスト教の聖典である聖書には、真理の証拠となる奇跡が実に多く書き記されています。その奇跡は多くの人々の前で公に行なわれたものばかりです。神がキリスト教(また古代ユダヤ教)こそ御自分の宗教であることを証明するため、聖書の時代に生きていた聖徒たちに素晴らしい奇跡を与えられたのです。このように公的な奇跡による証拠を無数に持っているのはキリスト教だけであり、他の宗教は持っていません。今の時代で真の宗教はキリスト教のプロテスタントにだけ保たれていますが、プロテスタント教徒の多い国に神から経済的な祝福が注がれているという事実も、キリスト教こそ神による真の宗教であるということを証明しています。つまり、本当に正しい宗教を持っているからこそ、神の祝福により豊かで栄えているというわけです。神が御自分の聖なる宗教を持っている子たちにどうして良くして下さらないでしょうか。しかし、偽りの宗教をがっちりと信じて捨てようとしない者が多く満ちている国は、神から祝福されるどころか呪われているので、経済的に貧しくいつになっても繁栄できないままなのです。悪霊により作られた神の忌み嫌われる宗教を掴(つか)んで離そうとしない国が、どうして神の祝福に与かれるでしょうか。全ての国と民族はキリスト教のプロテスタントにこそ来るべきです。そこにこそ神の真理があるのですから。