週報:【人生の短さについて】(2022/10/02)


ラーメン店としてフランスのミシュランガイドで初めて星を獲得した「蔦」の創業者が、急性心不全で先日、43歳の若さで亡くなりました。アントニオ猪木も10月1日に心不全で亡くなりました(79歳没)。有名な落語家の三遊亭円楽も9月30日に肺癌で亡くなりました(72歳没)。少し前にはイギリスのエリザベス女王が老衰により亡くなりました。7月には安倍氏が驚くべき殺害方法により突如として亡くなりました。安倍氏が亡くなった前日には、世界的に有名な漫画である「遊戯王」の作者がサメ襲撃による溺死で亡くなっていました。これらはどれもよく知られた人たちですが、少し前には生きていると思われていたのに、もう死んでこの世からいなくなっています。彼らをこの世の中で探しても、もう以前のようにはいきません。決して生きている状態を見つけることは出来ないのです。彼らの人生はあっという間に過ぎ去りました。それはあまりにも短い時間でした。古代ローマの詩人オウィディウスも「人生の速さは矢が過ぎ去るが如し。」と唄っています。人間の人生が驚くほど短いというのは、聖書も教えていることです。モーセはこう言っています。「私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。」(詩篇90:9)ヤコブもこう言いました。「あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。」(ヤコブ4:14)かつて人間の寿命は1000歳近くまでありました(創世記)。しかし、大洪水から徐々に寿命が少なくなり、今の寿命水準にまで下がったのです。その寿命水準になった時代のことをモーセはこう言っています。「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。」(詩篇90:10)これからも人間の寿命水準は現在のままに保たれるでしょう。すなわち、人間の寿命における上限が引き上げられるということはありません。このような短い寿命を考えると、重要なことが分かります。それはどういうことかと言えば、人間の寿命は人間のための寿命というより神のための寿命である、ということです。何故なら、もし洪水後の人間の寿命が人間のための寿命だったとすれば、今でも人間の寿命は洪水前のような水準のままかその水準以上だっただろうからです。洪水後の寿命は聖書でも短いと嘆かれているのですから、その寿命水準が人間のための寿命水準でないことは間違いありません。神にとって人間の寿命は、生涯の間にイエス・キリストを信じるか信じないか物理的な時間の中でよく確かめられるほどあれば十分であり、それを確かめるには最高でも120年ぐらいあれば構わないのです。ですから、私たち人間が寿命の短さを嘆いたとしても、神にとっては信じるか信じないか確認できれば十分なので嘆く必要もなければ問題にもならないのです。このように考えるならば、人生の時間が最高でも120年ぐらいだというのは納得できます。何故なら、主イエスを信じるための猶予期間としては120年もあれば十分すぎるぐらいだからです。世の中には10代すなわち10年とちょっとで救い主を信じる人も多くいるのですから。