週報:【仏教と日本人】(2022/11/20)


仏教は、日本人と民族的に相性が良いのかもしれません。少なくとも今とこれまでの日本人であれば確かにそうでしょう。日本にはお寺がどこでもありますし、仏教徒でなくても日本人は普通にお寺へ行きますし、葬式も仏教形式がほとんどであり、安倍元首相の葬儀も港区にある増上寺で行なわれました。仏教の僧侶も日本人にとって違和感がなく、馴染みのある存在です。「日本は仏教の国だ。」と思っている人も少なくありません。仏教にあまり馴染みがない白人の国、欧米とかなり違っていることは明らかです。日本人と仏教が良い相性であることは、2つの理由があると思われます。その一つ目は仏教が自己義認の宗教であるという点です。仏教では、自己を超人化することにより輪廻転生を断ち切るというニルヴァーナ(涅槃)の救いが説かれています。日本人は名誉のためであれば自殺することも厭わない傾向を持ち、「高み」に到達できるならば自己犠牲を喜びとする民族ですから、自己義認を説く仏教にはすんなり入って行けるのでしょう。ニルヴァーナの達成という教義は、日本人の性質によく合致しています。二つ目は仏教が神のことを語らず、神について曖昧な態度しか取らない、という点です。アダムのように罪深い日本人は高慢であるため、神からあれこれと命令されるのが嫌なのであり、このため神についてほとんど何も説かない仏教が気に入るのです。霊的な傲慢さと仏教は非常に相性が良いのです。仏教徒たちは、仏教徒でない人間は全て無明の闇に陥っている真理なき存在だと思い込んでいますが、自分たちも目の見えない真理なき存在であることに全く気付いていません。何故なら、仏教徒は「真理」(ヨハネ14:6)であるキリストを信じていないからです。真理を信じない者は「真理を持つ者」でなく「真理を持たない者」です。仏教徒はキリスト教徒をも他の全ての人間と同じく哀れに思っていますが、これは天動説論者であった16世紀の人たちが地動説論者を哀れに思ったのと一緒です。真理を所有していなかった天動説論者のほうこそ哀れに思われるべき存在だったということを、今の人間で知らない者がいるでしょうか。誰もいません。仏教徒もこの天動説論者のようなのです。彼らには真理がないからこそキリスト者に対して間違った思いを抱いてしまうのです。仏教という宗教は霊的な呪いです。ニルヴァーナに救いがあるのではありません。キリストにこそ救いがあります。聖書がこう言っている通りです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12)この仏教の信徒たちも、これから多くが救われてほしいものです。キリスト者が仏教徒になったという話は聞かれませんけども、この逆であればよく聞かれます。ですから、私はお寺のポストにもよく教会トラクトを配布しています。また彼らが救われるようにもしばしば祈っています。宗教に属する存在であるため、宗教そのものに抵抗感を持たないのですから、仏教徒たちは他の日本人に比べて救いに近い人たちであると考えられます。以前の礼拝に来られた方も、恐らく仏教徒だったと思います。仏教徒も救われたとすれば、どれだけ喜ばしいことでしょうか。