週報:【暦における新年と霊的な新年】(2023/01/01)


普通に考えれば新年を迎えて喜ばしいかもしれませんが、究極的に考えて「ハッピーニューイヤー」なのか疑問に感じられます。何故なら、多くの人はまだキリストにより地獄の運命を免れていないからです。究極的に言って、結局は地獄に行くのであれば新年を迎えても喜ばしいとは言えません。地獄の凄まじい恐ろしさを考えれば確かにこう言えます。最後には地獄が永遠の住まいとなるのであれば、短い人生の間に幾度かの新年を祝ったところで何も意味はありません。それならば、新年の喜びなどなくても、最後は地獄へ行かないほうが遥かに優っています。人は地獄でなければ天国に行きますが、天国とは新年の喜びを遥かに凌駕する喜びが常にいつまでも満ちた場所だからです。一方、地獄には新年の喜びに相当するような喜びがないどころか、そもそも喜びという感情が全くありません。暦においては人々が新年を迎えました。地球の場所が1年前に位置していた周回軌道へ再び戻って来たからです。暦の新年であればクリスチャンでもノンクリスチャンでも同様に迎えます。しかし、霊的な新年であればクリスチャンとノンクリスチャンは全く異なります。クリスチャンの場合、キリストにより新しい年明けを迎えています。何故なら、クリスチャンはキリストにより救われてから新しい年月を生きることとなったからです。パウロはこう言っています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)これはつまりキリストの救いにより、それまでの古い時間が過ぎ去り、全く新しい時間の中へ入れられたということです。クリスチャンはクリスチャンになるまで、ずっとサタンの暗闇に生きるという年月を過ごしていました。しかし、キリストに救われたことで、キリストの光に照らされて生きるという年月を過ごす者として新しく変わりました。ノンクリスチャンの場合は、まだサタンの暗闇という古い年月に生き続けています。つまり、まだ霊的な年明けを迎えていません。キリストによらなければ霊的な年明けは決して訪れません。ですから、キリストを信じない限り、ノンクリスチャンは永遠に霊的な正月を迎えることがありません。最後は地獄で永遠に裁かれるのであれば、この地上で新年を迎えても本質的に意味はありません。究極的に言えば、地獄に行くため不信仰な状態で新年を祝っているのですから、虚しいだけです。実際、地獄に行った人たちは、地上で新年を祝ってもただ虚しいだけだったと気付くでしょう。その時には地獄の中で、「地獄に行くぐらいであれば新年など祝っている場合ではなかった。新年を祝っている余裕があるぐらいならば、どうして地獄を免れるため救いを求めなかったのか。」と思うはずです。キリストの尊い聖なる御救いを信じるならば誰でもすぐ霊的な年明けとなり、古い年月から新しい年月へと変わります。暦における一般的な新年の祝いを否定するのではありませんけども、教会はこれから人々がキリストの御救いにより霊的な新年を祝えるよう追い求めて行かねばなりません。