週報:【御子を信じないことに対する神からの裁き】(2023/02/05)


神の御子イエス・キリストの御救いを聞いておきながら、無視したり拒絶したりして、不信仰な状態を続けるのは大きな罪です。これ以上に大きな罪はないと言って間違いありません。何故なら、キリストは万物の主であられ、そのような御方の御救いを受け入れようとしないからです。これに比べれば、殺人や強盗や人身売買のほうが、ずっと小さい罪です。何故なら、それらの罪はどれもキリストの贖いにより神から赦されるからです。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1:7)と書かれている通りに。もしキリストの御救いを受け入れない不信仰な状態でい続ければ、必ず神から裁きが下されます。それは、神が御自分の御子を私たちの罪のため犠牲として死に引き渡されたからです。神が御子を惜しまず死なされたというのに、それを受け入れなければ、どうして無礼に満ちた不信仰の罪が裁かれないままでいるでしょうか。そのような人は神とキリストを蔑ろにしているわけですから、裁かれて当然なのです。例えば、警察官が警告したのに法律違反を犯すならば、その人は間違いなく逮捕され処罰されることでしょう。この世で警告を無視して犯罪に陥ればこうなるぐらいだとすれば、尚のこと、御子の御救いを受け入れない人間は神に処罰されてしまいます。キリストを信じないことに対する裁きは、実際的で現実的な内容です。例えば、古代ユダヤ人はキリストを拒絶して殺したので、神の裁きにより、ローマ軍を通して滅ぼされてしまいました。もし古代ユダヤ人がキリストを救い主として受け入れていれば、裁きも下されませんから、滅びの刑罰を受けることはなかったでしょう。江戸時代の日本もキリスト教を敵視して退けたので、裁きとして鎖国の刑罰を受け、そのため近代化の流れに乗り遅れてしまいました。もし日本が愚かにもキリスト教を否んでいなければ、鎖国をするよう神から裁かれていなかったでしょうから、西洋が中世において味わったような発展のない暗黒時代を味わうこともなかったでしょう。江戸幕府が鎖国を実施したのは、外国から来たキリスト教徒たちにより国家が乗っ取られるかもしれないと無知のため勘違いしたからです。不信仰に対する裁きが、必ずしもすぐ与えられるとは限りません。寧ろ、その裁きはしばしば時間がかなり経過してから下されます。例えば、古代ユダヤ人はキリストを否んでから40年後に裁かれて滅びました(紀元70年)。しかし、裁きを受ければ、その裁きは永遠また長期間に亘って注がれます。例えば、古代ユダヤ人は裁かれて以降、神の御前において永遠までも遺棄されることとなりました。ですから、今でもユダヤ人は古代と異なり、神から断絶したままの状態であり、これからも民族的にそのような状態であり続けます。日本も裁かれて鎖国の状態を長らく保たせられることとなりました。日本が鎖国などせず西洋における近代化の恩恵にいち早く与かっていたとすれば、どれだけ良かったことでしょうか。しかし、長らく注がれていた裁きのため、そのようにすることはできなかったのです。