週報:【神の御前で悔い改めるかどうか】(2023/02/26)


この世では、一般的に道徳的な善良さを持った人が好まれたり尊ばれたりします。これはどの国でも同じことです。例えば、次の2人の人がいたとすれば、私たちはどちらを良しとするでしょうか。凶暴で、非道徳的で、害ばかり引き起こす茨のような悪人。平和で、道徳的で、益ばかり齎すオアシスのような善人。恐らく大半の人が後者のほうを良しとするはずです。何か特別な理由でもない限り、前者のほうを良しとする人はいないと思われます。前者を好むのは、精神が正常でないか、自分と似た者に親近感を覚える悪人か、悪事のため悪人を使おうとする人ぐらいでしょう。日本人の場合、多くの国に気に入られることが少なくありません。日本人は道徳的に善良な傾向を持つと思われているからです。パスポートがその証拠です。世界で最もビザなしで渡航できる国と地域が多いのは日本のパスポートです。これは日本人が諸国から信頼されていることを示します。フランスの旅行会社も、世界で最もマナーの良い旅行者は日本人だとしています。一方、南アフリカのヨハネスブルクは日本と異なります。この都市は、世界で最も凶悪犯罪の多い危険極まりない場所だとしばしば言われます。つまり、悪事を行なう人の比率と数が多いわけです。このため、「ヨハネスブルクには行かないほうがいい。」とこの都市を嫌悪・忌避する人は少なくありません。外務省も、日本人に対しこの都市には「十分注意してください。」(外務省・海外安全ページ)と注意を促しています。このように一般社会では、道徳的な人ほど良しとされ、非道徳的な人ほど良しとされません。これは神の御前でも同様です。神は義であられ、善を喜び、悪を憎まれるからです。一般社会でも神の御前でも、道徳的に善良であることは重要です。しかし、神の御前では更に重要なことがあります。それは、<悔い改めてキリストを信じているかどうか>ということです。神はこの点がどうであるか人間において最も重視されます。道徳的に善良な人であれあまり善良でない人であれ、悔い改めてキリストによる赦しを受けているならば、その人は神の御前に全く正しい者と見做されます。あらゆる人は罪深い存在です。この世では素晴らしいと思われる道徳的な人であれ非難されるべき悪人であれ、もしキリストにより義と認められていなければ、神から罰せられるべき罪人だという点で全く同じです。神はどちらの種類の人も等しく地獄に投げ込まれて裁かれます。ですからアウグスティヌスも正しく述べた通り、道徳的であるものの悔い改めない非キリスト者より、あまり道徳的でないものの悔い改めて赦されたキリスト者のほうが、遥かに優っています。これはキリストが話されたパリサイ人と取税人の例えからも分かります。主は、この世的には正しいと思われていたものの悔い改めなかったパリサイ人より、非常に罪深かったものの悔い改めた取税人のほうを良しとされたのです(ルカ18:9~14)。