週報:【神を捨てている現代人】(2023/03/05)


現代人のほとんど全ては神を捨ててしまっています。パウロが言った次の御言葉は、いつの時代でもその通りなのですが、とりわけ今の時代に強く当てはまっています。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。」(ローマ3章10~12節)人類社会が無神論的な傾向を持つようになり始めたのは、18世紀後半から19世紀前半のことです。すなわち、フランス革命が起こった頃、また進化論が公に現われ始めた頃です。それからしばらくすると、世界の時代精神が無神論的になっているのを見たニーチェ(1844-1900)は「神は死んだ。」と言いました。実際に神が死ぬということはなく、パウロが神は「ただひとり死のない方」(Ⅰテモテ6章16節)と言った通り、永遠に生きておられる神は死を持たない御方なのですが、人類が自分自身の精神の中から愚かにも神を死なせてしまったのです。この傾向は今もずっと変わらず続いています。このようになってからもう200年です。恐らく、これからも世界の無神論的な傾向は多かれ少なかれ続くだろうと予測されます。人類が神を捨てて無神論的になったのは、不信仰がその原因です。神は「近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です」(Ⅰテモテ6章16節)から、信仰によらなければ確かな実在者として知ることができません。ですから不信仰であれば見えない神を認めることが出来ず、どうしても無神論的にならざるを得ないのです。しかし、人類が不信仰になった第一要因、すなわち究極的な要因は何なのでしょうか。それは神が現代人の大半に呪いを注いでおられるからです。神は、現代世界に生きる大半の人が地獄で裁かれることを定められました。このため、今の人間の多くは、神に呪われた滅びの器ばかりなのです。それでは、人類が不信仰であることの第二要因、すなわち第一要因の現われとして実際にこの世界で確認できる要因は何なのでしょうか。それは現代人が、溢れる物質と物質の発展に圧倒され呑み込まれているからです。神は霊的な祝福だけでなく物質的な祝福も与えられる御方ですから、物質の多さや物質のもたらす益そのものが何か悪いというわけではありません。この物質が悪いというのではなく、現代人は物質に翻弄されて霊的な領域で全く盲目となっているのです。これから物質の発展が停滞したり完成に至るなどして止まらない限り、人類社会が再び有神論的な時代の精神を持つのは難しいかもしれません。物質は悪でないものの、非常に強い力と印象を精神に対して与えるからです。しかし、今の時代がこのようだからといって諦めたり歩みを鈍らせたりしていいわけではありません。教会は、パウロがそうだったように、常に全力で歩み続けるべきだからです。