週報:【堕落した死んでいる非再生者は神を知らず求めもしない】(2023/03/12)


聖書は人間が全て神の御前で堕落していると教えています。キリストが再生されていない人間を「死人」(ヨハネ5章)と言われたのは、このためです。もし人間が全く堕落していなければ、人間は神の御前に僅かであっても生きていたはずです。その場合、たとえ虫の息であっても生きているのですから「瀕死の者」とか「弱々しい者」などと言われていたかもしれません。しかし、人間は全的に堕落しているので、キリストは再生していない人間を「死人」と断言されたのです。これは旧約聖書で非再生者が「荒地」と言われていることからも分かります。つまり、御前で全く堕落しているからこそ潤いのない乾いた地だと言われているのです。もし完全には堕落していなければ僅かであっても潤いのある地だと言われていたでしょう。人間が徹底的に堕落しているのは明らかです。まず、人間は神が万物を創造されたというのに、この神をなかなか認めようとしません。この神なくしてこの世界は存在し得ません。ですから、創造者なる神ほど重要な存在は他にありません。しかし、ほとんど全ての人間は、この神など別にどうでもいいかのように生きています。これは何という不敬虔、何という愚かさ、何という物知らずでしょうか。世の中を見ても今はどれだけ無神論的になっていることでしょうか。たとえ神を認める人がいても、その神を求めるということはありません。「神を求める人はいない。」(ローマ3:11)と書かれている通りです。これは人間が堕落している明白な証拠です。このため、人間のほとんど全ては神のことを知らず、知っていてもその認識は誤りに満ちています。次に、人間は神に造られ、生かされ、養われ、存在させられているばかりでなく大小様々な御恵みを無限と言えるほど受けているにもかかわらず、そのような御恵みを注いでおられる神に感謝したり、崇めたりしようとしません。誰かから1000円を貰っただけでも、まともな人であれば感謝すべきでしょう。であれば人間は神にどれだけ感謝しなければいけないでしょうか。もし神が人間に注いでおられる御恵みの全体を、お金で言い表すことが許されるとすれば、1000円など無いも同然と思えるほど莫大な金額になるのは間違いないからです。そのような大きい御恵みを注いで下さる神には、感謝するだけでなく、当然ながら崇めることもすべきです。ところが再生していない大半の人々は、この神に感謝せず崇めることもしていません。これも人間が堕落しているからです。更に、人間は神が御自分の御子キリストを遣わされ死に引き渡して下さったというのに、御子とその御救いを信じようとしません。神が御子を私たちのため犠牲にされるという、それ以上の善があり得ない最高善を実現して下さったのにもかかわらず、人間はそのことに無頓着なままです。福音の御言葉をはっきり聞いたり読んだりしても、無視して信じないままの状態に留まり続けます。これは無礼の極みです。人間がこのように不信仰であるのは、根本的に堕落しているからでなくて何でしょうか。このようにここでは人間が堕落している証拠を3つ挙げましたが、このような堕落から解き放されているのは、キリストを信じて再生された聖徒たちだけです。聖徒たちは、神を正しく明確に信じており、神に感謝と崇拝も捧げており、御子とその御救いもしっかり持っているからです。人間はキリストにより再生されて堕落から解放されない限り、誰もこのようになることができません。再生しておらず死んでいる者が、どうして生きている者でもあるかのようになれるでしょうか。これから多くの人がキリストを信じて再生した者になるよう願うものです。