週報:【AIの規制と呪い】(2023/05/21)


最近に非常な注目を集めている「チャットGPT」というAIを作った企業のCEOは、ますます高度化するAIの規制なき利用に重大な懸念を表明しています。AIの使用は多岐に渡りますが、規制をしなければいけないというのは確かでしょう。便利で快適な自動車が何の規制も無しに走行すべきでないのと一緒です。このような事柄を色々と制限するのは国家の役目です。ダビデも人々の欲望が恣に暴走しないよう掟を作りました(Ⅰサムエル30:21~25)。もし国家が規制をかけなければ、歯止めなく危険な問題が発生・増大するでしょうから、社会に悲惨な状態が齎されかねません。しかし、AIが人類に致命的な悲劇を齎すなどと心配するのは、杞憂に過ぎないと思われます。例えばAIを搭載した人型ロボットが暴走し、人間に反逆したので、勝手に核の発射ボタンを押してしまったなどというSFめいた悲劇は起こらないでしょう。これまで核兵器がずっと存在し続けているのに、人類の全体は核により壊滅的な打撃を被っていません。広島と長崎の悲劇は繰り返されていません。核兵器でさえ存在するのに人類が大丈夫なのですから、尚のことAIは存在しても大丈夫なことでしょう。適切な規制をかけ、しっかり制御していくというのであれば、確かに大丈夫なはずです。また私たちは神のことについて考えるべきです。ヨハネが言った通り、「神は愛」(Ⅰヨハネ4:8)です。神は愛ですから全人類に恵み深くあられます。このAIという最新の技術も、人類に対する恵みの一つであるはずです。であれば、どうしてAIが人類に巨大な悲惨を齎すのでしょうか。もしAIが人類を駄目にするのであれば、この技術は恵みというより呪いとして与えられたことになります。しかしながら、少なくとも今の時点で、この技術が呪いであるとは全く考えられない話です。何故なら、これが恵みであるからこそ、多くの人が喜んだり益を受けたり驚いたりしているのだからです。確かなことを言えば、本当に脅威であるのはAIよりも人々が不信仰なことです。多くの人が神とキリストを信じなければ、その不信仰に怒られた神が、本来は恵みとして与えられたAIを人類への呪いのため転用されるかもしれないからです。それは聖書で「みことばをさげすむ者は身を滅ぼし」(箴言13:13)てしまうと書かれているからです。不信仰とは、福音の御言葉を「さげすむ」ことでなくて何でしょうか。しかし、もし人々がキリストの福音を受け入れて敬虔に歩むのであれば、AIが呪いのために使われることは起こらないでしょう。更に、人々が不信仰な状態であれば、その人たちは死んでから全て地獄に投げ込まれてしまいます。AIよりも、不信仰のため地獄に落ちるほうがどれだけ脅威でしょうか。ですから、確かにAIに規制は必要であるものの、AIのことだけ考えて救いと呪いを考えない人は霊的な盲人なのです。