週報:【無知に基づく罪深い儀式】(2023/08/06)


オムロンがインドで製品を現地生産することになった際、その現地で地鎮祭を実施しました。日本人はよくこのような儀式をするのであり、ニュースでもしばしばその光景が見られます。日本人は場所だけでなく物でもお祓いや聖別をよく行ないます。例えば、大阪の「餃子の王将」は昨年、スタンプカードの縁起を良くするため、そのスタンプカードを三光神社でお祓いしました。このような事柄から分かる通り、日本は神道の影響が非常に強い国です。日本社会には根底から神道の成分が浸透していると言って間違いないでしょう。しかし、このような儀式はどれも明らかな罪の行為です。何故なら、地とそこにある物は、もうキリストの血により法的な清めを受けており、そのため父なる神と和解しているのだからです。パウロはこう言いました。「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」(コロサイ1:19~20)日本人が行なっているお祓いという儀式は、まるでキリストが地の清めを成し遂げておられないかのようであり、しかもキリストとその血によらない勝手な清めを行なっているのですから、どう考えても聖書を無視した大きな罪なのです。お祓いという儀式により事実上、キリストの清めは否定されていますから、それは罪でなくて何でしょうか。このような儀式を行なうことにより、日本人は汚れから清められたと思うでしょうが、そのようなことはなく、ただ自分たちを罪深い行為で汚れさせているだけなのです。「お祓いをしたからもう汚れは清められた。」などと日本人は思うかもしれません。しかし、実はただ神の御前に罪深い行為を重ねているだけです。しかも、このような行為は神の御怒りを燃え上がらせますから、呪われることにもなります。オムロンはインドで呪われるべき地鎮祭を行なったので、これからもインド人は悲惨な自然災害や人身事故に悩まされ続けるでしょう。日本人もこのような行為を止めようとしないので、諸々の呪いを受け続けねばなりません。日本人はこのような儀式を公的にであれ私的にであれ止め、悔い改めて、主イエスの御救いを信じるべきなのです。そうすればキリストにより罪の汚れから全て清められ、聖なる民へと変えられます。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」と使徒ヨハネは言っています(Ⅰヨハネ1:7)。罪と無知の中に死んでいる日本人は、汚れから清められていないので、実に悲惨で不幸です。