週報:【救いと伝道について】(2023/09/03)


救われて天国に行くか、救われないで地獄に行くか。これはただただ「キリスト・イエスを信じる信仰」(ガラテヤ2:16)にかかっています。すなわち、主イエスを信じる人は救われて天国に行き、信じない人は救われず地獄に行きます。他の存在に救いは全くありません。「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒の働き4:12)と聖書で書かれている通りです。行ないや努力によっても、救いは得られません。「行ないによるのではありません。」(エペソ2:9)と使徒パウロが言った通りです。聖書に「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)と書かれています。この御言葉の通り、神はあらゆる国の民族がキリストにより救われることを願っておられます。それゆえ、神は教会がキリストの御救いを宣べ伝えるように命じられました。キリストが「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われた通りです。教会がキリストの福音を宣べ伝えても、誰が救われるのか、いつ救われるのか、またどれだけの人々が救われるのか、といった事柄は分かりません。何故なら、神は御心のままに人を救われるのですが、私たちにはその御心が隠されているからです。福音が宣べ伝えられたので、誰かが福音を知ったとすれば、その人には救いのチャンスが与えられたことになります。というのも、福音を知ったのであれば、その福音で伝えられているキリストを信じることができるからです。もし福音を知らなければ、キリストを信じることもできないでしょう。聖書では「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。」(ローマ10:14)と言われています。人々の中にはキリストの福音を知らないまま死んで行く人も多いのです。もし正しい伝道が行なわれている場合、たとえ伝道により救われる人が増えなくても、教会に責任は全くありません。責任があるのはキリストを信じなかった不信仰な人々のほうだからです。キリストの御救いという真理を信じなかった人々は「罪に定められます」(マルコ16:16)から、その不信仰ゆえ今の人生と地獄で神から罰されることになります。静岡の人々は実に不信仰ですから、このままであれば、これから大地震と富士山噴火を通して神から罰され、多くの人が地獄へ呑み込まれるに違いありません。大地震と富士山噴火は静岡の不信仰がその引き金となり、神の裁きとして用いられる可能性が高いのです。第1次ユダヤ戦争におけるユダヤ人の滅びも、やはりユダヤ人の不信仰が原因として起こったのです。救い主であるキリストを信じないというのは実に悲惨で不幸なことなのです。