週報:【キリストの死と復活について】(2023/10/15)


キリストが死なれてから3日の間、その御身体は「死体」となりました。「死体」と言うと聞こえはあまり良くありませんが、確かにキリストが死なれたというのは「死体」になられたということです。もしその御身体が死体とならなかったのであれば、キリストは私たちの罪のために死なれたのではなかったこととなります。主が死んで死体となられたのは、私たちを贖って救うためでした。「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。」(イザヤ53:5)と書かれている通りです。主の御身体が死体になったのであれば、その御身体は腐敗したはずです。何故なら、エンバーミングの処置でも施さない限り、人の死体は腐敗するのが普通だからです。キリストは真に死なれたのですから、その死体も腐敗の作用に委ねられたはずなのです。しかし、腐敗したとしても御身体が虫に食われるということは無かったでしょう。というのも、主の御身体はヨセフにより亜麻布にしっかりくるまれたからです(マルコ15:46、マタイ27:59、ルカ23:53)。また、主が納められた墓は「大きな石」(マルコ16:4)で封じられていたのですから、獣が主の御身体を害するということもありませんでした。しかし、主の御身体が腐敗作用によりガスや腐臭を出すということであれば、あったはずです。死なれたのであれば腐るのだからです。ただそのガスや腐臭により虫および獣がおびき寄せられることは無かったというだけのことです。このように死なれたキリストは、死なれたものの死なれてから3日目によみがえられました。御使いたちが主は「よみがえられたのです。」(ルカ24:6)と言った通りです。復活された際、キリストは腐敗の形跡をその御身体に留めておられなかったでしょう。十字架に架かられた時に生じた釘の跡であれば復活体にも残っていましたが、死んでからの腐敗作用は取り除かれていたはずです。つまり、一瞬にしてか急激であるものの徐々にしてかは分かりませんが、よみがえられた際、キリストの御身体に生じた腐敗は全て元通りとなったはずです。そうでなければ復活されたキリストの御身体は、例えばお腹が膨らんでいたりしたでしょうけども、このような腐敗の形跡があったという話は考えにくいのです。腐ったまま復活されたキリストの御身体というのは明らかに不自然です。人が救われるためには、キリストの十字架における贖いを信じると共に、この復活をも信じなければなりません。信じるならば、その人はキリストにより救われ、やがてキリストと同じように復活できることとなります。何故なら、信仰においてキリストと共に十字架で罪に死んだのであれば、復活するという点でもキリストと同じになるからです。パウロがこう言った通りです。「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ6:5)