週報:【日本の発展と不信仰について】(2023/11/12)


戦後の日本が急速に驚くべき発展を遂げたのは、軍事に力を持って行かれなかったことが一つの大きな要因だったはずです。日本はほとんど経済の分野だけに専心することができました。軍事に気を取られないだけでなく、大きな戦争に巻き込まれることもありませんでした。ロシアや中国、韓国、北欧4国のように徴兵制も日本にはありません。経済に専心できたとすれば、強力な成長を遂げられたのは納得がいきます。集中すればより大きな成果が生じるというのは、私たちの経験からも明らかでしょう。しかし、日本が経済的な繁栄を享受できたものの、霊的な面で良くならなかったのは不幸なことでした。日本が経済大国になるのと合わせて、多くの日本人がキリスト者になっていればどれだけ幸いだったでしょうか。そうなった場合、日本人は経済的な恵みを神に感謝していたに違いありません。そうすれば80年代後半から90年代前半において神から祝福の度合いが抑制されることも無かったはずです。つまり、それまでの勢いが祝福によりずっと続いていたでしょう。しかし、そうなりませんでした。何故なら、神は感謝を知らない傲慢な不信仰者たちを好まれないからです。今でも相変わらず日本人はまだ神を信じたり神に感謝したりしない不信仰な状態を続けています。これまでに死んだ日本人のほぼ全ては今現在、地獄で自分の罪深さに対する永遠の刑罰を受けており、これからも受け続けます。何故なら、その日本人たちはイエス・キリストによる罪の赦しを受けていなかったからです。経済大国となった最近の日本で生きていた日本人も、勿論そうです。たとえ日本で生きて経済的に恵まれていたとしても、結局は地獄に行くとすれば経済大国の住民であったということなど何の意味があるでしょうか。それならば日本が経済大国ではないものの、救われている人の多い国であったほうがどれだけ良かったでしょうか。何故なら、この地上での状態よりも永遠における状態のほうが比べ物とならないほど重要だからです。しかし、日本人はこのような話を聞いても全く理解できません。ですから、日本人のような人々は聖書でキリストにより「死人」と言われているわけです。それというのも、死体が何を言われても決して理解できないのと同様、霊的に死んでいる不信仰な人々も霊的な話を全く理解できないからです。