週報:【天国に至ることの重要性】(2023/12/17)


結局のところ、人生で最も重要なのは、天国へ入れるようになることです。これは真実なことです。何故なら、聖書からこう言えるからです。神はどうして聖書を書かれたのでしょうか。それは人間が聖書の御言葉により救われて天国に入れるようになるためです。このためにこそ聖書は書かれました。よって、天国へと至れるようになるか至れないかという事柄は、人の人生にとって計り知れない重要性を持っているのです。もし天国に至れるならば、そのような人生は実に幸いだったと言えます。何故なら、天国とは全く悲惨がない至福の場所だからです。「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」と聖書は天国について述べています。このような状態が天国では永遠に至るまでも続きます。こういった天国に至れる人生であれば、今の人生でどれだけ不幸だったとしても、それは究極的に言って幸いな人生です。天国の計り知れない至福を考えるならば、地上の人生で受ける不幸は、完全に覆い隠されてしまうほどだからです。それは、ちょうど子を産んだ母親の喜びが、それまでに受けた産みの苦しみを全て塗り潰してしまうのと似ています。しかし、地獄に至るのであれば、究極的に言ってそのような人生は悲惨です。何故なら、地獄には耐え難い苦痛があり、その苦痛は永遠に続くからです。地獄は不幸そのものです。このような地獄に至るのであれば、今の人生がどれだけ幸せだったとしても虚しいだけです。永遠の苦しみが決定的な状態となるまでに味わう僅かな幸せとは何なのでしょうか。それは100年の拷問を受け続ける前に1時間ぐらい幸福が与えられることよりも、遥かに悲惨なことです。100年の拷問を受けている際、1時間の幸福はもう消え去っています。それと同様、地獄で永遠に苦しむ際も、今の人生で味わった幸せはもう消えているのです。このようであれば今の人生で大きな不幸を味わうものの、やがて天国で永遠の至福を味わえるほうが遥かに優っています。神の御子イエス・キリストにこそ、この天国がかかっています。すなわち、キリストを信じる者は、その信仰のゆえに救われて神が天国へと至らせて下さいます。このキリスト以外に救いは全くありません。「この方以外には誰によっても救いはありません。」と使徒が聖書で述べた通りです。キリスト以外の存在により天国へ至れるなどと語る教えは、サタンの邪悪な惑わしに他なりません。このキリストを信じるかどうかで天国か地獄かが決まるのです。ですから、教会の福音伝道は人間界において極めて重要な意味を持っています。このような聖なる伝道の使命を蔑ろにする教会であれば、神も決して祝福しては下さらないでしょう。