週報:【多くの人が地獄で罰される理由】(2024/02/11)


至福の天国に行かず地獄へ行く人は実に多くいます。何故なら、キリストは次のように言われたからです。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13~14)もし救われて天国に行く人が多ければ、キリストは逆のことを言っておられたでしょう。つまり、「いのちに至る門を見いだす者が多く広い門から入る者は少ない。」などと。勿論、天国には絶対的に言って多くの聖徒が見られるはずです。しかし、恐るべき地獄に行く人々の数と比べれば、その数は非常に少ないのです。神が地獄で永遠に罰される人を多く定められたのは何故だったのでしょうか。神は、地獄に定められた者が誰もいないか少しだけにすることもおできになりました。しかし、神は実に多くの人間が地獄で罰されるように定められました。そうなるのが神の御心だったからです。地獄の子たちが数多く定められたのは、神の栄光が現わされるためです。私たち人間とはどのような存在でしょうか。人間には神に仕え神の栄光を現わす本質的な義務があります。このようにするため私たち人間は創造されたのです。キリストを信じ救われることで人間にはこの本質が回復されます。このような本質がキリストにより回復されていない全ての人は、神の栄光を現わそうとしないのですから、神の御前で役に立たない不要な存在でしかありません。神は言葉で言い表し難い人知を遥かに超えた輝かしい栄光をお持ちであり、その栄光が現わされるのを求めておられます。ですから、神は御自分の栄光を現わそうとしない罪人がどれだけ苦々しい存在なのか地獄の刑罰で思い知らされることにより、逆説的に御自分の栄光を現わされるのです。つまり、地獄で罰される罪人たちを通して、神の栄光は必ず現わされるべき素晴らしいものであることが示されるのです。このような神意を、矮小な人間の理性は理解することができません。しかし、それを理解できないからこそ、神は本当に神であるということが分かるのです。何故なら、神とは人間を遥かに超越した至高の絶対者であられるからです。これはプロの考えに素人が付いて行けないからこそ、「プロ」と言われるのと程度の差はあれ似ています。逆に天国で永遠の祝福を受ける聖徒たちは、地獄の子らに比べて少な目で良しとされました。これは神の大いなる御恵みが際立つためです。ダイヤモンドなど数が少なければ少ないほどその価値と貴重性も高まるのは誰でも知っていることです。ですから、神の祝福がより素晴らしいものとなるため、天国に定められた者たちは少しであっても全く問題ないのです。