週報:【伝統と真理】(2024/02/18)


日本人は、キリスト教が日本の伝統に適合していないと感じています。これはその通りであると言えます。何故なら、日本の伝統は仏教と神道にあるからです。キリスト教が日本で主流の宗教になったことはまだ一度もありません。日本人はこの伝統があるからというのでキリスト教をなかなか受け入れようとしません。「日本は仏教(また神道)の国だからキリスト教は合わない。」などと呟くのです。しかし、このような呟きは知恵の欠けた愚劣なお喋りに過ぎません。何故なら、このように言うのは、伝統が真理であるか、もしくは伝統が真理に優先されると考えていることだからです。言うまでもなく伝統が必ずしも真理であるとは限りません。伝統が真理である場合もあれば、そうでない場合もあるでしょう。自分を欺くのでもない限り、これら3つの宗教が典拠としている文書を読み、よく考えるならば、キリスト教にこそ真理があるのは明らかです。キリストは「みことばは真理です」(ヨハネ17:17)と言われました。キリスト御自身は「真理」(ヨハネ14:6)であられる御方です。聖書の御言葉に天上的な匂いを感じない人がどこにいるでしょうか。この聖書は自分が真理であると力強く述べています。それは本当に聖書が真理だからなのです。それにもかかわらず、何も考えず非伝統的だからというのでキリスト教を退けるのは、文明が自分たちの伝統に合わないからというので受け入れなかった未開人でもあるかのような愚かさです。しかも、このように呟くのは愚かなだけでなく、無知を曝け出すことでもあります。今の日本人が当たり前の宇宙観として地動説を持っているのは、長い伝統が打破されたからです。地動説を唱えたコペルニクスの登場により、それまで長らく当たり前とされていた天動説の伝統は間違っていたことが判明しました。これは人間のパラダイムがもっとも大きく変化した出来事の一つです。この出来事は伝統が必ずしも真理であると限らないことを非常によく教えています。もし日本人がこのことをよく弁えていたならば、こんなにも多くの人が伝統を盾にしてキリスト教を退けることはしていなかったでしょう。世界の民族が全て日本人だったとすれば、今でも人間は天動説を常識の宇宙観としていたに違いありません。もし日本人が究極的に伝統を重視するというのであれば、仏教や神道を捨て去り、キリスト教に鞍替えすべきでしょう。何故なら、キリスト教は最初の人間であるアダムの頃から存在しているからです。アダムに預言された原福音とは、つまりキリスト教です。アダムがいた時代から存在している神の宗教と、アダムからおよそ3500年後ぐらいに釈迦と日本人が作り上げた勝手な人工宗教であれば、前者のほうが人間にとって伝統的です。ですから、日本人が仏教と神道からキリスト教に切り替えるのであれば、それは真の伝統へ戻ることになるのです。